不要な「犠牲」をやめ、「役割」から解放されるための方法

僕たちは、いろいろ考えた結果、いまの生き方を選ぶようになりました。

生き方を変えたいと思っても、それ以外のやり方を知らないので、どうしていいかわからない、ということもあります。

結局、何に対して犠牲にしているのかということもよくわからないまま、「とにかく忙しい」「イライラする」「苦しい」人生が続いていくわけです。逃げられないコーナーに追いつめられて、まるで何かに締めつけられるような感覚に陥るのですが、それは、その役割に対して、自分が「イエス」と言ったわけでないと思っているからです。

たとえば、職業であれば、それを選んだのは「自分」です。その役割に対して、「イエス」と言ったわけです。もしも、「でも、思っていたのと違った」「当時はイエスだったけど、いまはノーに変わった」となれば、その役割から離れることもできます。

凝り固まった肩をほぐそうとする女性
写真=iStock.com/kazuma seki
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けれども、たとえば「長男」「長女」としての役割についてはどうでしょうか?

その役割についてイエスと言った覚えはないのに、なんとなく、その役割を果たさなければならないと、自分でも思っているし、あなたの家族や親戚も、そう思っていることがあります。

「役割」には、「他者の期待」がついてまわります。「長男らしい」「長女らしい」振る舞いや行動を、ある意味で強要されるわけです。そうした期待が積み重なって、あなたをどんどんどんどん重くしていきます。たとえば法事など、親戚の集まりがあると、「長男だから欠席は許されない」と考える人がいます。

彼は、どんなに忙しくても、少しぐらい熱が出ても、無理をして「長男の責任」を果たそうとしてきたそうです。それを、いきなり「今日から一切の犠牲をやめるので、もう法事には絶対に行かない」と宣言するのは、やや極端でしょう。

親はもちろん、親戚のおじさん、おばさんにも波紋はもんを呼んで、それまでうまくいっていた関係まで悪くなるはずです。そんなことになれば、役割を果たす以上の、新たな問題や負担を抱えることになるかもしれません。