努力が報われない人にかけるべき言葉

「あなたの悩みのほとんどは、自分の努力が効果を持たないことによるけど、それは当たり前のことだ。いくら努力しても、一流のピアニストになれる人もいれば、そうでない人もいる」

一見、残酷で、救いがないように思えるかもしれません。けれども、世間様にり込まれた観念をはずした先に救いがあるのです。

いわゆる“世間の常識”というのは、かなり強固な観念です。世間様の言うことを信じている「世間様教」の信者は、世間様の目が気になります。世間様がよしとすることから、少しはずれてしまった自分に罪悪感がある。だから、私は世間で聞かないようなことを言うのです。

「いくら努力しても一流のピアニストになれない。しかし、きみはまったくピアノをやる気のない人に比べたら格段に上手じゃないか。その証拠に、今まで全然ピアノを弾いたことがなくて音符も読めない人に、ものすごく上手に教えられるじゃないか」

その人の努力はちゃんと実っているにもかかわらず、ただ本人が自分の努力の結果を認めたくないだけなのです。「一流のソリストになれないのは、私の努力がまだまだ足りないから」と思うのをやめれば、自分の努力がちゃんと実を結んでいることが見えてきます。

信じている価値観を疑ってみることが大事

自分を責める(自罰)のをやめ、親に責任転嫁する(他罰)のもやめると、だいぶん楽になって、まともにものを考えられるようになってきます。そうすると、ほかの選択肢も見えてくるはずです。だから、まずは、さまざまな思い込みをいったん疑ってかかるとよいでしょう。

「俺はやればできる」→本当にそうかな?
「人間みな平等」→とは言えないかもしれない。
「努力は報われる」→こともあるかもね。
「親孝行しないと罰があたる」→だからどうした。

あなたが信じている価値観を否定して捨て去れというのではなく、いったん疑ってみると選択肢が増えるということです。そこから、もう一度選び直してみてはどうですか?もっとあなたが生きやすい価値観を再構築するために、ちょっと思い込みをゆるめてみませんか?

「それ言っちゃおしまいよ」というタブーをはずしてみると、そこに新しい世界への扉が開いているものです。