もっと評価されて良いはずの武将

頼朝が亡くなった後、有力御家人同士の殺し合いが相次ぐ。その混乱を息子の義時がくぐり抜け、最終的に勝ち残ることができたのは、北条時政がいたからだと私は思う。時政が有力御家人を挑発し、謀反の疑いをかけ滅ぼしているからだ。

「鎌倉殿の13人」の1人、比企能員を殺す時などは「仏像供養においでください。その後、いろいろとお話しましょう」と自邸に誘い出し、丸腰でやって来た能員を殺害している。北条氏が勢いをつける基礎をつくったのは時政なので、もっと評価されて良いだろう。能力的にも義時にも劣らない、いや、義時を超えた武将だと私は評価している。

鶴岡八幡宮
写真=iStock.com/pisittar
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以上、頼朝挙兵の場面を中心にして、時政という武将の性格を見てきた。

時政の実態はドラマと異なる。ポンコツという言葉で表現されるようなコミカルな人間ではなく、抜け目がない冷徹な人間だと史料を見ていて感じる。時政がいなければ、北条氏の隆盛も鎌倉幕府の確立もなかったであろう。

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