江戸時代の旅行ブームでは、人々は神社やお寺への参詣に熱中した。歴史家の安藤優一郎さんは「講という組織が旅行ブームの火付け役になった。だが、男たちが寺社参詣に熱中したのは信仰だけが理由ではない」という——。

※本稿は、安藤優一郎『江戸の旅行の裏事情』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

浮世絵
写真=iStock.com/BernardAllum
※写真はイメージです

江戸時代の「旅行ブーム」の火付け役

江戸の旅行ブームを牽引した寺社への参詣は個人もさることながら、団体での参詣が定番である。そんな団体旅行が旅行人口増加の最大の要因となり、「おかげ参り」のような熱狂的な「群参」も生み出すが、団体旅行の基盤となった組織に目が向けられることはあまりない。

その組織とは、「講」である。

講とは寺院や神社、あるいは霊山、霊場に参拝して奉加ほうがや寄進を行う集団組織のことで、講中とも言う。信徒側から自然発生的に講が結成される場合もあったが、大半は寺社側のアプローチで結成された。まさしく布教活動の成果だった。

寺院の講からみてみよう。

成田山新勝寺(現千葉県成田市)といえば、近頃は明治神宮に次いで初詣での人数が多いことで知られる。その信徒が組織する講は成田講と呼ばれた。本尊の不動明王を篤く信仰していることから、不動講ともいう。

関東の初詣での人気では成田山と双璧の川崎大師平間寺へいげんじ(現神奈川県川崎市)の信徒が組織する講は大師講、同じく関東の高尾山薬王院(現東京都八王子市)の信徒による講は高尾講、雨降山大山寺あぶりさんおおやまでら(現神奈川県伊勢原市)の講は大山講と呼ばれた。

神社の講としては、伊勢講、富士講、秋葉講などが挙げられる。それぞれ、伊勢神宮(現三重県伊勢市)、富士山の浅間せんげん神社(現山梨県富士吉田市)、東海の秋葉神社(現静岡県浜松市)の信徒により組織された講である。

言うまでもなく、寺社の経営は講からの奉納金に大きく依存していたが、寺社への参詣も講単位で行われることが多かった。寺社も講による参詣を大いに歓迎した。そして至れり尽くせりの「おもてなし」が展開された。