意識レベルが低下したはずなのに、座ってしゃべっていた
大学病院から家に移り、2カ月ほどたった時、その女性は徐々に衰弱し、やがて意識レベルが低下した。宮本さんは今日明日に亡くなるだろうと予想した。
「お母さん、昨日と今日の様子がぜんぜん違いますよね。明日まで元気だったら、びっくりしてしまうかもしれない。何かあればいつでも呼んでください」
宮本さんは、死期が近いことを夫と娘にそうやんわりと伝えた。そして訪問医にも状況を電話で報告する。
翌朝、宮本さんが再びその家を訪れると同時に、女性は意識がなくなり、30分ほどで亡くなったという。
「でもその前日、私が帰った後に、意識レベルが低下したはずのお母さんが座って普通にしゃべっていたというのです。甥っ子さんがたずねてきて、彼女がバイバイと手まで振っていたと聞き、驚きました。ご家族もそのような状態まで復活したので、翌日亡くなるとは思わなかったそうです。でもご主人が『病院じゃなくて家で看られてよかった』と。お嬢さんも『在宅で介護するのが楽しかった』と言ってくれました」
亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか?
訪問看護師の小畑雅子さんは4年前、義兄の宗治さんの在宅療養を看護という立場で支えた。宗治さんは末期がんを患っていた。当時を振り返って小畑さんはこう言う。
「私の姉と、子供たち3人がシフトを組みながら、仕事と宗治さんへの介護を両立していました。家で亡くなった宗治さんが、もし病院で最期を迎えていたら、亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか? と思い返します。家にいたからこそ、『好きな音楽を聴きたい』『みんなと食卓で食べたい』『家の風呂に浸かって楽になりたい』『横になりながらでも息子に仕事を教えたい』といった希望を全て叶えることができました」
宗治さんの妻も今回、コメントを寄せてくれた。
「今にして思うのは、夫は62年の生涯を自分流に生ききったかな……ということ。家にいたから、それができたと思う。そして家族は最期を看取れて、『見送った』と実感できたと思っています。家で死ぬことが良かったかどうか、本当のところは本人、宗治さんに聞いてみないとわからないけれど、少なくとも私は家にいてくれてありがたかった。看取らせてもらえて感謝しています」
自分たちの手で見送ったという家族の満足感と、自分が思うままに過ごせる本人の幸せ——家で死ぬことの良さはそこにある。
だがもちろん「家で死ぬこと」は家族の負担や覚悟も求められる。次回は、コロナ禍で夫を家で看取った妻の思いに迫りたい。(続く。第9回は1月22日11時公開予定)