「バチカンが燃えていいのか」ローマを守るために降伏したイタリア

【井上】イタリアで教えられて知ったのですが、第二次世界大戦中の1943年7月19日に、初めてローマは連合軍の空爆を受けたんです。この翌日にイタリアの参謀本部はもう戦争をやめようと、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に掛け合いました。ムッソリーニの逮捕と連合国への休戦申し込みを、初空襲の翌日に決めるんですよ。

【青木】なるほど。

【井上】彼らは、ローマに爆弾が落ちると思っていなかったのです。で、あらためて考えだしました。コロッセオを焼いていいのか、バチカンが燃えていいのか、と。ローマはそこら中に建築の宝がある。これを維持するのは自分たちの務めだ、という思いがかなり強かった。フランスだって、ナチスの前に早々と敗北を決めたのは、パリを焼くわけにいかんという思いがあったからです。ごく近年も、ノートルダム寺院の屋根が焼けおち、脱魂状態になったフランス人はおおぜいいました。ナチスの戦車とパリでドンパチするわけには、いかなかったと思います。

だけど東京は、連合国の空爆に3年4カ月持ちこたえました。軍の一部では、国土が焦土となっても戦闘を継続する途さえ、さぐられたんですよ。後世へ伝えなければならない建築などというものはただの一つもなかったんだなと、非常に切なく感じます。建築という文化財が戦争への抑止力となることに気付いたとき、私はイケイケドンドン風の建築観を改めました。

自分たちが築いてきた環境への愛情が希薄な日本

【青木】まったく同感です。日本においては、自分たちが築いてきた環境への愛情が希薄ですね。自分たちが生活している日常的な風景が失われることにかなり無頓着です。自分の人生が周りの環境よりずっと短く、私たちはその環境をただ通り抜けていっているだけという感覚がない。シェークスピアではないけれど、ヨーロッパだとどこかに、人間はこの世という舞台に登場しては消えていく役者にすぎないという感覚があるんでしょうね。

井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)
井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)

そんな日本ですが、一人一人の、その時々の欲望でできあがる建物の集合である町もまた、それでもなぜか、固有の空気の質をもってしまうのが、私は面白いと思っています。荻窪という東京の中央線沿線の住宅地がありますが、いろいろな時代につくられた、ほんとうにさまざまな意匠の家が立ち並んでいます。でも、そこにはなにかひとつの空気が漂っている。それを象徴するように、高架となった中央線に乗って町を見ると、ひとつひとつの個性は消えて、一面に広がるじゅうたんのように見えるんです。それぞれの細胞が次々に自由に建て替えられて行っても、全体の空気はさほど変わらない。その安心があったから、自分の周辺環境に無頓着だったのかな、と想像しています。

そういうなかで、もっとも怖いのは面的な大規模再開発です。都市における細胞である建築の交換なら大丈夫、首都高のような血管である道路の増設もまだいい、でも違う臓器が移植されたらひとたまりもない。

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