東京の街並みはどのようにして今の風景になったのか。その背景には、ヨーロッパとは違う日本ならではの建築の歴史があった。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんと建築家の青木淳さんの対談をお届けしよう――。

※本稿は、井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

東京タワーの夕景
写真=iStock.com/ferrantraite
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「外観は公共のもの」という考え方

――コロナ禍に見出すポジティブな面ということでいうと、日本は「自粛の要請」というかたちで中国や欧米のように都市をロックダウンせず、私権を極端に制限しないで対応してきたことを政府は誇っています。もちろん、これは評価が分かれるところですが……。片や、本書の3章のリレー・エッセイでお二人とも触れているように、日本の都市は欧米に比べて規制が緩く、自由なデザインの建築が多いという面もありますよね。そこで、あらためて公と私の関係や、「自由」というものについてご意見をお願いいたします。

【井上】青木さんが本書の3章で触れていた、フランスから来た留学生のエピソードが印象的です。ファサード(外観)は設計者のものじゃなく、公共のものだというふうに彼らは考えている。これには、ああなるほどと思いました。

【青木】ロンドンで、水上に建つ建築を建て替えるというプロジェクトを設計したことがあります。日本と同じで、イギリスでも建築確認申請が通らないと建設できないのですが、その前に「プレ建築確認申請」という事前審査があって、デザインや、環境問題、水中の生物に対する影響について、専門家たちと議論する場が設けられるんです。案のかなり初期から始まって、案の進行と並行して何度も議論します。本番は法文による審査なので、法律で禁じられてさえいなければ通るのですが、プレ建築確認申請は、法律より上位にあるとされている「常識」に照らし合わせての議論なので、実はこちらのほうがずっと通すのが難しいんです。

クライアントが求める案が、プレ建築確認申請でNGに

【青木】私の設計は、波打つ水面のような外壁から成るデザインでした。でも、設計の途中、クライアントがもっと窓をいっぱい、また大きく開けたいというので、そういう案を試すと、窓だらけになってしまって、普通のオフィス・ビルのようになってしまうのです。私としては納得がいかないのですが、クライアントがそうでないと商売にならないというので、その案をプレ建築確認申請で見せたら、デザインとして許容できないと拒否されたんですね。前の案は、ここに建てるのにふさわしかったが、これだと環境破壊だと。それで元の案に近づけることになって、やっと審査に通って実現しました。私は、日本よりこの国のほうがずっと、建築家の「自由」が守られていると思いました(笑)。

【井上】まあ、そういうケースもあるんでしょうね。でも何ていうか、水上だから地権者ではないけれども、クライアントの「自由」は阻害していますね。