2021年夏、ライターの國友公司さんは2カ月間、ホームレスとして過ごし、共に生活する人々の生活を見つめた。あるとき路上生活を続ける國友さんは、電柱にくくりつけられたキャリーケースがたびたびあることに気づく。先輩ホームレスにその理由を聞くと、返ってきたのは意外な答えだった――。(第1回)

※本稿は、國友公司『ルポ路上生活』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

配給を求めて都庁と代々木公園を往復

七月三十一日。

翌朝、目を覚ますと黒綿棒(編注:著者の國友氏が作中でそう名付けた長身のホームレス)が白い腕時計をしている。また誰かが金を恵んでくれたのかと思い近づくと、日焼けの跡だった。これまで付けていた腕時計の紐が切れ、時計自体もどこかで落としてしまったらしい。

いくら路上生活とはいえ時間がまったくわからないのは不便だと嘆いているので、「私はスマホがあるので時間くらいいつでも聞いてください」と言うと、主従関係ができるので聞かないという。

オフィスビルに時計を見に行った黒綿棒が戻ってきた。一時間後に代々木公園南門でカレーの炊き出しがあるという。このカレーも肉が入っていないベジタブルだが、先週のクリシュナ(宗教団体のクリシュナ意識国際協会)とは別の団体のようだ。クリシュナは第二・第四土曜日開催なので、この日(七月三十一日)はお休みである。

この日の献立はこんな感じだ。

代々木公園でカレーを二杯食べる→十四時から都庁下で食料の配給→夜八時頃キリスト教系団体がパンを配りに来る→夜九時頃「スープの会」がスープを配りに来る

代々木公園でカレーを食べて食休みして戻ってくると、ちょうど都庁下の炊き出しが始まっているという。寝床にいても一日が長く感じるだけなので、今日も付いていくことにした。一体、都庁と代々木公園の間を何往復するのだろうか。

「ホームレスは常に食べ物に困っている」という先入観

「この炊き出しには毎週行くんですか?」
「カレーと中華丼が隔週で出されるので、カレーのときだけ行くようにしている。できれば中華丼には当たりたくないので。ただ、不意に中華丼が二週続くことがあるんだよね」

黒綿棒が中華丼を避けるのは、ただただカレーのほうが好きだからという理由に尽きる。ホームレスは常に食べ物に困っているという先入観があったが、それは都内で生活するホームレスに限れば“完全な”思い過ごしであった。黒綿棒はこの日十四時から行われる都庁下の炊き出しにも苦言を呈する。

「トマトをさ、五個も六個もくれるでしょう。僕らは料理ができないのだからせめてプチトマトにするべきだとずっと思っている。どうかすると汁がほかの食料に浸食してしまう。でも捨てるにも捨てられないだろう」

たしかに、大粒のトマトを六個も渡されたところで保存も効かないので食いきれないのだ。

そして何より飽きる。恵んでもらっている立場で言うことではないが、これがホームレスの本音だ。公園で鳩にトマトをあげているホームレスもいた。しかし、鳩もトマトは口に合わないようで手を付けていなかった。

たしかにトマトを5個も6個もそのままでは食べきれないし、捨てるのも気が引ける。
筆者撮影
たしかにトマトを5個も6個もそのままでは食べきれないし、捨てるのも気が引ける。