イケメンの乗る馬車を取り囲む女性たち
かれらが大通りを歩くと、女性の黄色い悲鳴が聞こえる。女性は積極的で、イケメンの乗る馬車にフルーツを投げ入れたり、馬車をとりかこんだりする(*10)。既婚・未婚を問わず、人妻さえもイケメンに駆けよる。そのようすはイケメンのアイドルにむらがる現代の女性たちとなんら変わらない。
もちろん男性のほうが女性をナンパすることもある。イケメンのなかには、鏡をみながら、みずからの顔にうっとりするナルシストもいた(*11)。
一方、イケメンでない男性はいつの時代もあわれである。好みは人それぞれで、男からみたイケメンと、女からみたイケメンとでは異なることもあるが、当時ブサイクといえばツリ目、いかり肩、ふくろう鼻、曲がった鼻、出っ歯、顎なしなどの条件があてはまる(*12)。
またヨーロッパや中央アジアでよく目にするブロンドヘア(紅毛)、青い目(碧眼)、彫りの深い顔つきも、じつは肯定的に捉えられてはいない(*13)。ブサイクが美男子のマネをして街中を闊歩しようものなら、女性陣から唾を吐きかけられる(*14)。
もちろん男性の性格も重要ではあるが、外見が悪くとも女性にモテるという実例はめったにない。そのめずらしい例が哀駘它である。かれは春秋時代の衛国のブサイクであるが、かれと話をした男性は心惹かれ、女性は両親に「どの人の妻になるよりも、あの方の妾でいたい」と頼む始末。
その理由は、かれが徳を深く湛えた人であったためらしい(*15)。
吃音はキャリアに影響をおよぼすが、太っていても出世はできる
だが例外は例外であるからこそ、その記録が驚きとともに史料に残っているのである。ハゲや低身長、もしくは吃音や、身体のどこかに障害をもつ者は、さらに悲惨であった。
とくに吃音はキャリア形成に悪影響をおよぼすもので、その障害を乗り越えて名を成したのは韓非子・曹叡・鄧艾・成公綏など、けっして多くはない。
一方、太っているために就職できなかった者の話はみえず、むしろ巨漢でも士人として高い評価を得た者の例がある(*16)。とはいえ、あまりに重そうだと、からかいの対象くらいにはなったようである(*17)。
いずれにせよ、当時ふつうの家庭に体重計はなく、ウエストのサイズによって体重を表現していたので、人びとはおおよその体重しかわからなかったはずである。
身長も低くないほうがよい。秦漢時代には民を労役にかりだすとき、身長と年齢が基準とされるので、国家は民の身長を記録していた。平均身長を明記した記録はさすがに残されていないが、史書をひもとくと、成年男性はだいたい七尺(約161cm)と表現されている(*18)。