「指示を出す」のが上司の役目ではない

よく小学校の校外活動で川や山に行くことがありますが、そこでは学校を離れ、山や川に「行く」こと自体が目的になってしまうことが多いように感じます。その川で何を学んだかという内省や省察を引き出すことがなおざりにされがちなのです。仕事も同じことで、人が成長するには経験のあとの「内省」が不可欠です。問われるべきは「経験」だけではありません。その後にどのような「内省」があるかが問題なのです。

では、どのようにすれば無気力な部下に内省を促すことができるのでしょうか。例えば、営業マンなら日誌を書くことが内省を促すための一般的な方法と言えるでしょう。ここで上司に求められるのは、ただ営業日誌を書かせチェックするだけではなく、本人が持っている考え方とは別の考え方を提示することです。

自分とはまったく異なる考え方を提示されると、当然本人が持っている考え方と衝突します。この衝突を経験することで自分の普段のやり方を振り返り、それが効果的なのか、ほかにもやり方があるのではないか、といった内省が始まるのです。振り返りによって自分の行動を意味づけることが、内省を行うための第一歩と言えるでしょう。大人の学習には、時に「痛み」が伴うことがあります。

内省を促すために、上司に必要なのは「聞く」ことです。「言う」ことは得意な一方、部下の話を聞くことが不得手な上司はたくさんいます。そもそも、「部下に指示を出すのが上司の役目だ」と思っている人が多すぎるように思うのは私だけでしょうか。そういう人の頭の中には、上司が言ったこと(said)=(部下にとっては、以下同) 聞かされたこと(heard) = 理解されたこと(understood)=腹に落ちたこと(convinced)=実践されること(acted)、という図式があるはずです。

しかしそれは違うのです。自分が部下だった頃を考えてみてください。上司から言われたことを100%理解でき、腹に落ちるのは稀で、むしろ自分なりに取捨選択して仕事を意味づけしていたのではないでしょうか。

つまり、いま書いた4つの等号は、現実にはすべて不等号であることが多い。現場から見ると上司の意見が間違っていることもありますし、たとえ同じことでも、ある課長に言われたら耳を貸さないが、部長に言われたら素直に聞き入れるということもあるでしょう。

そう考えると、部下が自ら納得し腹に落ちた経験と、それを振り返ることによって獲得した仕事に対する自分なりの哲学のようなものがなければ、前向きな仕事など期待できないのです。