「ご不快な思いをさせて申し訳ございません」は謝罪なのか
たとえば、電車で立っていてふらつき、隣の人の足を思わずちょっと踏んでしまった、といったケースでは、すぐに「すみません」とか「ごめんなさい」と言えばすむ場合が大半だろう。踏まれた相手もなぜそう言われたのかを了解しているし、普通は、その一言をもらえれば十分だと思うはずだ。(むしろ、土下座までされたら気味悪く思うだろう。)
問題なのは、それではすまないことをやってしまったケースだ。
たとえば、有名人が大きな舌禍事件を起こして、謝罪会見を行ったり謝罪コメントを発表したりするとしよう。その際に皆の顰蹙を買いがちな物言いの典型は、「私の発言が誤解を招いたのであれば申し訳ない」といったものだ。というのも、これでは、「皆さんが意味を誤解しただけであって、私は非難されるべきことを言ったつもりはない」と弁解していることになるからだ。
また、「ご心配をおかけして申し訳ございません」とか「ご不快な思いをさせて申し訳ございません」という言葉もよく用いられるが、これもまるで、謝るべきは心配をかけたことや不快な思いをさせたことであって、自分のした罪や過ちではない、と言っているように聞こえる。
たとえば、交通事故の後に当て逃げをした人物が、謝罪会見の場で「皆さまに不快な思いをさせて……」と言ったとすれば、その人物は、自分が法や道徳にもとることをしたことや、被害者を傷つけたことなどを謝っているのではないという風に、多くの人が受けとめるだろう。
謝罪の定番フレーズに含まれている“言い訳のニュアンス”
謝罪の言葉として悪名高い常套句はほかにも色々とある。たとえば、非難されるべきことをなぜしたのかと問われた際の、「自分の弱さで……」とか「私の未熟さによって……」といった言葉、あるいは、「私の不徳の致すところで……」という類いの言葉だ。
こうした常套句はどれも、自分がなぜそれをしたのかについての具体的な説明を拒否するものであり、かつ、自分のしたことが主体的で意図的なものであったことを否定するニュアンスを帯びている。つまり、自分がそのとき気持ちを強くもてたり、成熟していたり、徳をちゃんと備えてさえいれば、そんなことを敢えて自分からしようなどとは思わなかったはずだ。自分の性状に流されて、どうしようもなくやってしまったんだ――そういう言い訳のニュアンスである。