「パタル」と呼ばれた例幣使のインチキ収入
そこで登場するのが、お決まりの袖の下だ。例幣使に金銭を渡すと、落ち度はなかったことになる。
駕籠からわざと落ちることは「パタル」と呼ばれた。「パタル」の回数分だけ、例幣使の懐は重くなるというからくりだ。こうして、ひと財産作れたのである。
例幣使がこんなありさまであるから、御供の者たちも何かと難癖を付けて金子を巻き上げるのが常だった。袖の下がたんまりと貯まり、京都へと戻る。
そんな話が知られていたからこそ、出入りの米屋たちが例幣使の御供に加わりたいと求めてきたのである。「つけ」があった公家は弱みに付け込まれた形で御供に加えた。それは米屋たちへの支払いが済むことを意味していた。
例幣使が行き来する道中ではこんな光景が毎年繰り返されていた。運悪く例幣使に関わった人足たちからすると災難に他ならない。道中、御供に化けて駕籠に乗っていた出入りの米屋たちの行状については、次のような証言も残されている。
下向の途中イヤモウ辛い言懸りをする。特には米屋、薪屋、豆腐屋、豆屋が烏帽子直垂の扮装ゆえ、威張り散すのみか、役徳をしようしようと目懸けて、人足の百姓に辛い無心を引掛けたもんです。一、二例を挙げますが、コノ御供廻りが言合したように皆駕籠から落ちるのでがす。ソレが無理やりに落ちるのではない飛出すので、落ちて置いて「誠にその方共は怪からぬ。公儀へ申上げ、何分の御沙汰に及ぶ」という難題。一同恐入って「何分共に御内済」と、両の袂へ若干金を入れると、渋い顔がニコニコ顔となり、「一同注意せイ」。(『増補 幕末百話』)
烏帽子や直垂を付けて公家に化けた米屋たちが幕府に訴えるぞと人足たちを脅していた様子が、鮮やかに浮かび上がってくる証言である。
切り刻んだ古い幣帛が初穂料に化ける
例幣使の役得は「パタル」や、接待に落ち度があると宿にクレームを入れることで巻き上げた金子だけではない。色紙や短冊に揮毫して、本陣に支払う宿泊料に代えることも珍しくなかった。
宿泊代は支給されているわけであるから、その分例幣使の懐に入る。宿泊料を期待する本陣にとっては、有難迷惑この上ない。
例幣使が領内を通過する諸藩にとっても、招かざる貴人だった。通過の際には御機嫌伺いの使者を送る必要があったが、何と言っても勅使であるから粗略にはできない。何らかの進物を携えて宿所に出向くことになる。財政難の藩にとっては小さくない負担だった。