NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。渋沢家五代目の渋沢健氏が衝撃を受けたご先祖様の言葉、代々伝わる家訓を綴ります。
ノーベル経済学賞の受賞者である故ミルトン・フリードマンが1970年に『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に寄稿した「ビジネスの社会的責任とはその利潤を増やすことである」という記事は、その後、およそ半世紀を渡って新自由主義の時代を経済社会で導きました。現在、環境的・社会的課題を軽視していると新自由主義の近眼性が問われ、政府介入の要望が増している世の中でも様々な側面で引用され続けています。
フリードマン氏は、「責任」とは企業法人という架空人物像ではなく「人」、つまり経営者が背負っているものであり、その直接的な責任は雇い主(株主)の要請に応えることであると説いました。そして、その要請とは、to make as much money as possible(利益の最大化)という主張でした。
日本でも、「企業は利益を上げ続けることだけを考え、我が社の社会貢献は税金を納めることだ」と声を上げる経営者は少なくありません。つまり、経営の基本的な行動指針とは、「儲かってナンボ」であると。
確かに、企業が利益を上げ続けることは経営者の重要な責任です。ただ、納税は決して社会への「貢献」ではなく、法的に定められた「義務」です。また、企業が利益を上げられる社会を維持するための「費用」でもあります。
また、利益の最大化だけが責任に応えている成功の意義と考えることは、複雑な関係性が混在している事態をかなり単純化しているのではないでしょうか。もしかすると、単純な目的であるからこそ普及したのかもしれませんが、利益拡大という成功に目が眩む不祥事件が世の中で絶えません。
渋沢栄一は『論語と算盤』で断言しています。「目的を達するにおいて手段を選ばずなど、成功という意義を誤解している。」【権成ある人格養成法】