人と会うことは苦痛を伴う。それはなぜか。精神科医の斎藤環さんは「人と会うことには暴力的な部分がある。攻撃性が見当たらなかったとしても、そこには“他者に対する力の行使”があるのだ」という。作家の佐藤優さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、斎藤環・佐藤優『なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

挨拶のためにお辞儀をする2人のビジネスパーソン
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「暴力」は社会の至るところにある

【佐藤】斎藤さんはインタビューで、「新型コロナは、他人と会うことがある種の『暴力』であることを顕在化させた」と、述べています(「朝日新聞アピタル」2020年6月14日配信)。「会うこと=暴力」という言い方には、正直、違和感を覚える人もいるのではないかと思うのですが、そこにはどんな意味が込められているのでしょうか?

【斎藤】まず申し上げておきたいのは、ここで言う暴力は「他者に対する力の行使」すべてを指す概念で、いいとか悪いとかいう価値判断とは無関係だということです。「力」には物理的なものから、心理的、形而上学的なものまで含まれます。ですから、そもそもすべての暴力が非合法であり、悪だと言うことはできません。

【佐藤】国家に不可欠な警察や軍隊は「暴力装置」ですから。

【斎藤】実は一般的な概念としての「他者に対する力の行使」は、社会の至るところにあるのです。人と人が出会うことや、集まって膝を交えて話すことも、まさにそれに該当する。身体的・物理的な暴力はもちろん、目の前にいる人の態度や言葉に一切の攻撃性が見当たらなかったとしても、そこには常にミクロな暴力ないし暴力の徴候がはらまれている、と私は考えるのです。

人と会うのは苦痛だけど、会ってみると楽になる

【斎藤】「あの人に会わなくてはならない」という気の重さのようなものと、「久々に会えて嬉しい」といった感情という両義性を内包する、と言うこともできるでしょう。まあ「圧力」でも「重力」でもいいのですが、対人関係を表現するという点で、やはり「暴力」が最もしっくりくると感じて、この言葉を使っています。

【佐藤】なるほど。

【斎藤】もう少し具体的に話してみましょう。繰り返しになりますが、私自身、対人恐怖症気味、発達障害気味の人間で、人と会うのは基本的に苦痛なのです。約束の時間が近づくと、妙に緊張したり不安になったりもします。ところが、不思議なことに、実際に会って話をすると、とたんに心が楽になる。毎回この繰り返しで、会えば楽になるのが分かっているのに、会うまでは苦痛を感じたりするわけです。

【佐藤】これも、「そうそう」と相槌を打つ人は、多いのでは。

【斎藤】おっしゃる通りで、以前そのことをブログに書いたら、けっこう膨大な共感の声が寄せられたんですよ。それで、自分と同じ「症状」の人が多数いるのだと分かりました。

【佐藤】私も、「優しい編集者」なども含めて、多くの場合、人と会うのにはやっぱりしんどさを感じます。