大学よりも歓楽街で広報活動したほうが効率的なはずだが…

性産業で働くための情報は、玉石混交ではあるが、日本ではネットで検索すればいくらでも出てくる。稼げる店や地域を紹介するとうたっている業者やスカウトのアカウントも、SNS上には掃いて捨てるほど存在している。イギリスにおいても、会員制アダルトサイトや売春を斡旋あっせんするコミュニティサイトが存在し、女性個人が広告を出して客を募っている。

性産業で働く学生に向けて適切な情報を提供したいのであれば、大学のキャンパスではなく、多くの支援団体と同様、彼ら・彼女らの集まる夜の歓楽街や、性産業従事者の多くがアカウントを持っているSNSやコミュニティサイトを通して広報活動を行った方が、圧倒的に効率がいい。

私の関わっている、風俗で働く女性向けの無料生活・法律相談窓口「風テラス」でも、働く上で知っておきたい情報をまとめたマンガ冊子を作成しているが、大学で全学生に向けて配布するような非効率なまねはしない。風俗店の事務所や、出勤した女性の集まる待機部屋に直接配布したり、風俗で働く女性の多くが利用しているツイッターで発信している。

大学内で、わざわざ全学生に周知してまでこうしたセッションを行うことは、どう考えても合理性がない。仮に性産業で働いている学生がいたとしても、不特定多数の人が集まり、知らぬ間に録音・録画されるリスクもあるオンラインセッションには、まず参加しないだろう。

売春婦
写真=iStock.com/aerogondo
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背景には「リベラル内部の権力争い」が

「性産業で働いている学生向けの個別相談会を開催します」「秘密は厳守します」という形式で広報すれば、困りごとを抱えている学生も参加しやすくなるし、不要な炎上も起きなかったはずだ。性産業で働く学生への配慮を社会に要求している割には、当事者への配慮が圧倒的に足りないと言える。

なぜ、夜の歓楽街から遠く離れた名門大学という舞台で、性産業とは一見無縁に思える学生組合という組織が中心となって、こうした試みが行われるのだろうか。

この背景には、リベラル内部での権力争いがある。「公の場でセックスワーカーを代弁すること」「セックスワーカーの権利擁護を訴えること」は、一部の大学教員や学生組合の活動家にとって、自分たちのテリトリーを広げ、ライバルをたたき落とすための武器になる。

いわゆる性労働=セックスワークをめぐる問題は、働くことの是非を含めて、リベラルやフェミニズムの中でも大きく議論が分かれるテーマである。

「セックスワーカーの権利を認めるか否か」という問いは、リベラルやフェミニストの間において、ある種の「踏み絵」(職業の貴賤を問わずすべての人の権利を守ろうとする「本物」と、自分たちにとって都合の良い人の権利しか守ろうとしない「偽物」=リベラルやフェミニストの皮をかぶった「差別主義者」を区別するための仕掛け)として用いられている。

自分たちと意見の異なる相手に対して、「差別主義者」というレッテルを貼ってたたくための仕掛け、と表現した方が正確かもしれない。