セックスワーカーの代弁をするメリット
セックスワークに関する議論を「踏み絵」として政治的に利用することが、リベラルやフェミニスト内部でのマウンティング合戦や権力闘争を有利に展開するための武器になっているために、リベラルな思想を持つ人間の集う「名門大学」という舞台で、そして「学生組合」という左派的な組織が主導する形で、今回のような論争が起こるようになる。
名門大学の教員や研究者は、性産業の現場を知らないがゆえに、当事者を代弁する学生組合や活動家のことをそのまま信じてしまう。彼らの主張が、実際の現場にいる当事者の価値観とはかけ離れたもの、政治的に過激なものであったとしても、セックスワーカーの権利を認めない人は、リベラルの世界では「差別主義者」としてジャッジされてしまう(そのようにSNS上で印象操作をされてしまう)ため、表立って批判しづらい。
学生組合が唱える「大学がすべての学生とスタッフにとって安全な環境であることを保証するため」という正論に逆らうと、マイノリティーへの危害を容認する「差別主義者」として認定されてSNS上でバッシングを浴びることになり、場合によっては職を失うリスクすらある。
一方、セックスワーカーを代弁すれば、まだ何者でもない学生の立場であっても、教授や大学、そして政府の大臣に対して、「要求」や「指導」を行うことができる。
当事者たちには何も役に立たない「代弁合戦」
「セックスワーカーへの差別にならないために、何をしてはいけないか」「どのようなことを学ばなければならないか」といったルールを教え諭す「正義の審判」の立場に立つことができる。自分たちが「セックスワーカーへの差別」だとみなしたものを、SNSで一方的に血祭りにあげて、世界中に発信することもできるかもしれない(事実、イギリスの大学で起こった「セックスワーカーへの差別や配慮不足」をめぐるゴタゴタが、遠く離れた日本でこうして記事になっている)。
それがたとえN=1の議論(特定個人の体験談)にすぎないもの、根拠の不確かな伝聞情報であったとしても、組織としての活動実態や支援実績がなくても、セックスワーカーの代弁者を装うことに成功しさえすれば、(名門大学をはじめとした、ごく一部の)リベラルの世界では「無敵」になれるのだ。
「あなたたちの組合って、本当にセックスワーカーの当事者が関わっているの?」「誰が当事者なの?」と疑う相手に対しては、「アウティングになるので言えない」「誰が当事者かを探ろうとすること自体が、当事者に対する危害である」という理屈ですべてはね返すことができる。
まさにチート(いかさま)であるが、絶対的な安全圏から、自分よりも学歴や社会的地位の高い相手を自在に燃やすことができる、という蜜の味を一度知ってしまったら、もうやめられない。
こうした「象牙の塔」の内部、およびSNS上で行われている代弁合戦は、性産業の現場で働く女性たちの被害や不幸を減らす上では、何の役にも立たないことは、言うまでもない。