30年で58冊…名著を量産した
ドイツでは、教授が着任したときに、自分の研究計画を紹介する公開講演を行う習わしがあります。ルーマンも、予定をしているおもな研究計画について聞かれました。
その答えは有名です。
「研究計画:社会に関する理論。期間:30年。予算:ゼロ」と、ごく簡潔に述べたのです(Luhmann, 1997)。社会学で「社会に関する理論」といえば、つまりすべてのことです。
そして、ほぼ宣言どおり29年半かけた大作、『社会の社会』(法政大学出版局、2009年)の最終章を1997年に書き上げると、社会科学者のコミュニティに激震が走りました。そのラディカルで新しい理論は、社会学を変えただけではなく、哲学、教育学、政治理論、心理学の分野でも熱い議論を巻き起こしました。
ただし、議論についていける人ばかりではありませんでした。
ルーマンの研究は非常に高度で、異質かつ複雑なものでした。各章は個別に出版され、それぞれが法律、政治、経済、コミュニケーション、芸術、教育、認識論、さらには愛まで、さまざまな分野について論じています。
30年間で、ルーマンは58冊の本と数百本の記事を発表しました。これには翻訳書は含まれていません。その上その多くが、さまざまな分野の古典的名著となっています。ちなみに、死後にさえ、研究室に残っていた完成間近の原稿にもとづいて、宗教、教育、政治など多岐にわたる分野の本が10冊以上出版されました。
死んだルーマンと同等の生産性に達するためになら、何をするのもいとわない同業者を、私は何人も知っています。
「生産性の高さは作業テクニックにある」
よく見るのは、ひとつのアイデアからできるだけ多くの刊行物をひねり出そうとする光景です。しかし、ルーマンはその逆を行っているようでした。いつでも、書き起こすよりも多くのアイデアを生み出していたのです。ルーマンの文章は、できるだけ多くの洞察とアイデアを1冊に詰め込もうとしているかのようでした。
人生に足りなかったものがあるかと聞かれたときの答えも有名です。「何かが欲しいとしたら、もっと多くの時間だね。本当にいらいらするのは、時間がないことだけだよ」
また、助手におもな仕事をやらせたり、チームで論文に取り組んで名前を連ねたりする人々も多い中、ルーマンはほとんど仕事を手伝わせませんでした。
最後に勤めた助手は、原稿のスペルミスを指摘するぐらいしか手伝わなかったと証言しています。手伝いらしい手伝いをしたのは、本人と、子供たちのために平日に食事をつくってくれた家政婦ぐらいでした。彼が、妻に早く先立たれたあとで3人の子供を育てなければならなかったことを考えれば、家政婦を雇うのも無理もないでしょう。しかし、もちろん、週5回の温かい食事は、影響力の高い約60冊の本と数えきれない記事を生み出した理由にはなりえません。
ルーマンのワークフローについて詳しく研究したドイツの社会学者ヨハネス・F・K・シュミットは、ルーマンの生産性は独自の作業テクニックによってのみ説明できると結論づけました。
しかし、そのテクニックが秘密だったことはありません。ルーマンはいつでも包み隠さず話していました。ツェッテルカステンが生産性の秘訣だと、いつも言及していました。少なくとも1985年から、どうしてそんなに生産的になれるのかと聞かれると、決まって次のように答えていました。「もちろん、なんでもかんでも自分で考えているわけではないよ。思考はおもに、ツェッテルカステンのなかで起こるんだ」
それにもかかわらず、ツェッテルカステンとその使い方に詳しく注目した人はわずかでした。説明を、天才の謙遜だと思って軽視したのです。