大事なのは関連づけること

まもなくルーマンは「ひとつのアイデア、ひとつのメモの価値は、文脈によって決まる」、そして「その文脈は、必ずしもメモを採録した文脈とは限らない」と気づきました。そして、メモの新たな分類法を開発しました。

ルーマンは、どう分類すれば、ひとつのアイデアをさまざまな文脈に関連づけられるかを考えました。

1カ所にメモを集めるだけでは、メモの山ができて終わりです。

しかし、ツェッテルカステンによって、メモの数以上の価値が生まれました。ツェッテルカステンはルーマンにとって、対話のパートナー、アイデアの生成装置、そして生産性のエンジンになりました。思考を構造化し、発展させるのに役立ったのです。

なにより、使っていて快適でした。

メモ術のおかげで社会学者になる

さらに、ツェッテルカステンはルーマンを学問の世界へ導きました。

ある日、ルーマンはツェッテルカステンで生まれたアイデアの一部を原稿にまとめ、当時のドイツでも指折りの影響力のある社会学者、ヘルムート・シェルスキーに見せました。シェルスキーは、この在野の研究者が書いた原稿を持ち帰って読み、折り返し連絡しました。そして、新たに開学したビーレフェルト大学の社会学の教授になってはどうかと勧めました。

ドイツ・ビーレフェルトの街並み
写真=iStock.com/querbeet
ドイツ・ビーレフェルトの街並み

名誉ある魅力的な仕事ですが、ルーマンは社会学者ではありません。ドイツにおいて社会学教授の助手になるための正規の資格すらもっていません。第一、博士号もなければ、社会学の学位もありません。ほとんどの人は、過大な誉め言葉と受けとりつつ、誘いを丁重に断るでしょう。

でも、ルーマンはそうしませんでした。ツェッテルカステンに向き合い、1年以内に必要な資格をすべて取得しました。その後まもなく1968年にビーレフェルト大学の社会学教授に選ばれました。そして、一生この地位を守り抜いたのです。