まずは西晋が内紛で崩壊し、中国北部で異民族の小王朝が乱立(五胡十六国)。やがて鮮卑族の北魏が台頭して5世紀なかばに華北を統一する。いっぽう中国南部は晋の皇族が亡命政権(東晋)を樹立後、王朝が宋・斉・梁・陳と続いた。北族(遊牧民)の北朝と、漢民族の南朝が対峙する「南北朝時代」である。やがて北朝の系統である隋が中国を再統一した。
北方の遊牧民が、漢人と衝突し、融合した時代
——今年、日本史の世界では清水克行先生の『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)が話題になりましたが、中国の南北朝時代も別な方向でアナーキーです。少年皇帝が即位する→親族や軍人がクーデター→帝位を簒奪→前皇帝を暗殺→一族や関係者を粛清……というパターンが繰り返され、半端ない規模で人が死ぬ。すごく「ヤバい時代」です。
【会田】そうですよね。遊牧民が大量に入ってきて漢人と衝突し、融合していった時代ですから、現代の価値観からするとおかしな人や不思議な人がいっぱい出てくる。自分が研究している時代の概説書を書いてみて、われながら「ヤバい時代」という形容にうなずくところがあります。
——しかも、残酷さの程度は遊牧民の北朝も漢民族の南朝も変わりません。本書のエピソードでいいますと、個人的には斉の明帝のキャラクターがしんどかったですね……。
【会田】斉の明帝は政治的には有能でしたが、猜疑心が強く、自身の親族でもある前代までの皇帝(高帝・武帝)の血筋をほぼ根絶やしにしました。しかし、敬虔な仏教信者であったことから、粛清を決めるとまずは焼香して嗚咽したとされています(*1)。
——血も涙もない冷血漢よりも、相手を哀れんでいるのに大虐殺を続けられる人のほうがホラーです。明帝の息子の東昏侯も残虐な少年皇帝で、妊婦の腹を裂いたというひどい話があるようですね。結果、有力者だった蕭衍(梁の武帝)に討たれています。
【会田】殺されたり負けたりした人は歴史書で悪く書かれるので、「暴君」の実態は判断が難しい部分もあります。似たような悪行の話は、前代の南朝宋の少年皇帝だった後廃帝にも伝わっています。彼も宋末の権力者である蕭道成(斉の高帝)によって廃されています。
(*1)『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』85ページ