マクロ経済環境の変化による利鞘の縮小

ところが、預貸金利鞘に依存するビジネスモデルは、1970年代の後半頃から変化し始めた。日本経済の高度成長が終わり、企業の資金需要が減退してきたからである。前記みずほリポートによると、全国銀行の預貸金利鞘は、70年代後半から80年代にかけて低下し、90年代の初めには1.5%程度となった。

利鞘縮小による銀行収益の悪化に対応して、本来は、銀行のビジネスモデルを大転換させる必要があった。ところが、日本の銀行はそれを怠り、手軽に収益が上げられる不動産投機に走った。このため、1980年代後半に不動産価格のバブルが起こり、銀行の状況が見かけ上は大きく改善した。しかし、それはバブルに過ぎなかったのだ。

不動産バブル崩壊で銀行時価総額が激減した

銀行の時価総額も大きく変化した。日経平均株価が最高値をつけた1989年の世界企業の時価総額ランキングトップ20を見ると、上位5社は、NTT、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行と、日本企業が独占した。また、上位20社の中に日本企業が14社もランクインしていた。そして、この14社のうちの6社が銀行だった。

ただし、すでに述べたように、銀行の預貸金利鞘ビジネスモデルは、すでに崩壊しつつあった。それにもかかわらず銀行の時価総額がこのように膨張したのは、バブル経済のためだ。銀行が不動産を担保に融資を増やす。そして、事業会社との間で株式の持ち合いを進める。株価が高騰したので、銀行は多大な株式含み益を得ることができた。

しかし、不動産バブルの崩壊によって、銀行の時価総額は一挙に減少した。それでも、みずほフィナンシャルグループの母体となった日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3行合計の時価総額は、1989年末で24.7兆円もあった。1993年7月末時点でも、時価総額に占める銀行の構成割合は26.0%もあった。

それが、2018年12月末時点では6.5%と大きく減少している。みずほフィナンシャルグループの時価総額は、2021年8月時点で約4兆円だ。