学校の勉強にばかりのめりこむ人

これは前著『ラクしてうまくいく生き方』(きずな出版)でも書きましたが、大学は卒業しておいたほうがいいです。結局、企業は学歴というか、偏差値で学生を判断するからです。だから、勉強が苦ではないのであれば、まじめに勉強したほうがいいです。

ひろゆき『誰も教えてくれない 日本の不都合な現実』(きずな出版)
ひろゆき『誰も教えてくれない 日本の不都合な現実』(きずな出版)

でも、偏差値が高いことと、仕事で成果を出せるかどうかはまったくの別問題です。とくに今後、AI(人工知能)やロボティクス化がさまざまな場面で進むと、偏差値が高くて勉強しかできない人の価値はどんどん下がっていくでしょう。

そもそもの話ですが、AI化が進んでいない現在ですら、じつは学校の勉強はほとんど役には立ちません。

知識を詰めこむよりも、いかに必要な情報をすばやくインターネットで検索して探し出せるかという力のほうが有意義ですよね(もちろん、コツコツ勉強を続ける勤勉さとか、読解力とか、論理的思考能力など、学校の勉強で身につけられる力もありますが)。

あと大事になるのは、きちんと自分の考えを伝える意味でのコミュニケーション能力、そして度胸でしょう。外国で言葉の通じない人たちとすぐに仲よくなれる人がたまにいますが、そのような能力ですね。

最近、この「コミュニケーション能力」や、「意欲」「関心」「粘り強さ」「新しい発想」「挑戦する気持ち」など、テストの数値では測れない非認知能力が注目されています。こういう点は、学校教育ではカバーされていないのが現状です。

非認知能力は幼児期から学童期にかけて大きく伸びるといいます。とくにお子さんが小さいうちは学校の勉強以上に重視したほうがいいと思います。

学校の先生のいうことを真に受ける人

子どもはいろんなことを知りたい好奇心の強い存在です。その子どもたちに物事を教えるのが学校の先生なわけですが、子どもが学校の先生を「大人の手本」にしてしまうのは、あまりよろしくないと僕は思います。

学校
写真=iStock.com/xavierarnau
※写真はイメージです

というのも、学校の先生の多くは大学で教職課程を経て、そのまま教師になります。つまり、一般社会に出たことのない人たちです。学校のほかの社会の仕組みを知らないので、考え方がかたよりがちになり、子どもに教える際にもズレたことをいってしまうこともよくあると思うのです。

もちろん、これは学校の先生の言葉を無視していいわけではありませんよ。学校の勉強に関しては、彼らは専門の教育を受けて学んできたエキスパートなわけですし、まじめな人が多そうだから、そこは信頼していいと思います。

でも、学校の勉強以外のこと、たとえば進路のこととか、生き方とか、そういう部分で先生の言葉を真に受けすぎるのは危険だと思うのです。

とくに中高生だと、親以外に触れ合う機会のある大人って学校の先生だけのことも多いですからね。社会人の経験だったら、父親とか母親のほうがよっぽど豊富な場合も多いんじゃないでしょうか。

学校の先生は民間の会社員と違い、営業ノルマもクビも基本的にない、特殊な世界ですからね。それでいえば僕なんかは、教師を目指す人には一度、ほかの民間の仕事を経験してから教師になってもらったほうが、よほど子どもたちのためになるのではないかなと思います。

本書でもいろいろ述べているように、この社会って綺麗事だけで回っているわけじゃない、ということを知っている人が教育の現場にいたほうがいいのではないでしょうか。