短期語学留学などを経て、所属する建設機械事業部の米国進出が決定。米国ボルチモアの工場建設プロジェクトのメンバーに抜擢されました。嬉しかったですね。しかし、渡米を控えて、自動車事故に遭ったのです。米国行きはキャンセルです。挫折を味わい「なんで俺はいつも大切なときに怪我に夢を阻まれるんだ」と、自分の不運を恨んだものです。

前向き人生に損はなし

8カ月に及ぶ入院生活は自分を見つめ直し、今後を考える機会になりました。「浮かれていたから罰があたったんだ。その運命を受け入れよう。海外への未練を断って、とことんドメスティックな企業で勝負してやろう」と思い、大和ハウス工業に転職しました。

ところが金沢で支店長をやっていたある日、突然本社から電話がきて「海外事業部に行ってくれ」と言われたのです。私は当初大和ハウスに海外事業部があることすら知りませんでしたし、入社後も「どこか海外にもウチのホテルがあるらしい」と聞いていた程度でした。最初は中国、そして米国ニューヨークへ。運命とは不思議なものです。あれだけ追いかけて摑めなかった夢が、追いかけるのをやめた途端に向こうから転がり込んできたのですから。

また、これは社長就任後になりますが、奈良に「みらい価値共創センター」という施設を建てさせてもらいました。ここはグループの研修施設としてだけでなく、子どもたちを教え・育てていく拠点としても運用していきます。40年以上経って、教育に携わるという夢が実現したのです。

こうした経験から、私はいつしか運命について考えるようになりました。マルクス・アウレリウス・アントニヌスは『自省録』の中で「運命は最初に処方されている。すべては織り込み済みなのだ」と言っています。私が大学最後のリーグ戦前に怪我をしたのも、米国勤務を目前に事故に遭ったのも、すべては最初から処方された運命だったのかもしれない。ならば、どんな試練に遭おうとも、運命と思って受け入れよう。ただし、絶対に後ろは向くまい。必ず前を向いて生きていく。“前向き人生に損はなし”そうやって生きてきたからこそ今があるのだと。

社長に就任したときもそうでした。2017年8月、移動中に樋口武男会長(当時)から電話がかかってきて、突然「社長をやれ」と言われたのです。人事の時期でもなかったため「まさか」と驚きました。そのときに頭をよぎったのは「なるべきか、ならざるべきか」という問いでした。「自分が何もできないのならなるべきではないが、何か貢献できることがあるのならその席に着くべきだ」と考え、お受けしました。