小室さんバッシングに見る「男性の生きづらさ」
このようにヨーロッパの事例を紹介すると、必ず日本人からこう反論されます。
「日本の皇室は、ヨーロッパの王室とは違う。比べること自体がおかしい」と。
しかし、スウェーデンのダニエルさんも、ノルウエーのメッテさんも、「王族との結婚後に王室の一員となった人」です。小室さんと眞子さまに関しては、小室さんは皇室に入る人ではありません。小室さんとの結婚により、眞子さまは皇室を離脱する立場です。そういったことを考えると、そもそも「結婚により皇室を離れ一般人となる」眞子さまについて「お相手の男性が皇室にふさわしくない」とすること自体が非論理的だと感じます。
過去4年間にわたり小室圭さんに課されていた「安定した収入」「素晴らしい経歴」「家柄」などの条件は、実は「多くの日本人男性に課されている条件」です。その事実が男性の結婚へのハードルを上げており「男性の生きづらさ」につながっていることにスポットを当てるほうが意味のあることのように思います。
ちまたでは「女性の生きづらさ」が語られることが多いですが、筆者はこの4年間の「小室騒動」を見て、この国の「男性の生きづらさ」を垣間見た気がします。小室さんに対して国民が「あれこれ」と条件を高くすればするほど、それは「ニッポンの男性の生きづらさ」につながるのではないでしょうか。
小室さんと眞子さまが過去4年間に我々に訴えかけたメッセージとは「『好きな人と結婚したい』というのでは、ダメなのですか?」ということだと思います。私は、以前コラムにも書いたように、小室さんと眞子さまの幸せを、心から願っています。どうぞ末永くお幸せに。