主張は常に根拠とセットであるべき
私はよくセミナーの冒頭に、「自分は論理的か、感覚的か、どちらだと思いますか」という質問をする。私のセミナーには、だいたい経営者か中間管理職(90%以上が男性)が参加するのだが、その答えの大半は、「どちらかというと論理的」というものだ。私はすかさず、次のような質問を足す。
「その根拠を教えてください」
すると、ほとんどの参加者は答えに窮する。なぜ自分が「どちらかというと論理的だ」と思ったのか。
「前田さんは、どうしてご自身を論理的だと思われたのですか」「木村さんはどうですか。どちらかというと論理的と判断された根拠は何でしょう?」――このように質問すると、ほとんどの人は腕を組み、考え始める。おそらく、その根拠はないのだろう。
つまりこれは感覚的に自分を論理的だと認識している、ということだ。非常に矛盾した言い分ではないかと思う。
また野球選手でたとえてみよう。
「あなたはプロ野球選手になれそうですか?」と質問されて、感覚的に「はい」と答える人はいるだろうか。これまでの実績や客観的な評価を引き合いに出し、「……このような理由で、私はプロ野球選手でもやっていけると思います」と主張するだろう。
主張には根拠が必要だ。正しいかどうかは別にして、常に根拠をセットに主張すべきなのだ。にもかかわらず、「なぜ?」と質問されて口を閉ざしてしまうようでは、まったく論理的ではない。
論理思考力の「思考」というのは、まさに「思考プログラム」のことだ。
思考のクセが感覚的だから、自分を「論理的だ」と何となく感覚で表現してしまう。だから矛盾している。
なぜ、働き方改革で残業を減らさないといけないか
歯止めの利かない人口減少と、価値観の多様化により、以前にも増して生産性の高い仕事が、どの企業にも求められる時代となった。
生産性を高めるには、個人よりも組織マネジメントの精度を上げることだ。マネジャーの力量が成否を決めると言ってもいい。
しかし限られた資源で大きな結果を出すには、論理思考力が不可欠だ。ロジカルに物事を考えられないマネジャーに組織運営を任せたら、いつまでたっても不必要な業務はなくならない。解決すべき問題も、積みあがっていくばかりだ。
それでは、論理思考力の高いマネジャーを選任すればいいという意見もあるだろう。しかし悲しいかな、総じて日本のマネジャーは論理思考力が低いのだ。
なぜ、日本人は論理思考力が低いのか?
学校教育において、ほぼ「答えのある問題」にしか触れてきていないからである。したがって「答えのない問題」を解決するために、筋道を立てて推論し、自分なりの言葉で主張することに多くの日本人は慣れていない。
だから社会に出ると「答えのない問題」に直面し、混乱してしまう人が増えるのだ。特に問題解決能力が求められるマネジャーは大変だ。「答えのない問題」しか身の回りに起こらないからだ。
たとえば、あなたがマネジャーだとして、部下から「働き方改革の時代だからということで、どうして残業を減らさなくちゃいけないんですか」と質問されたとき、どのように答えるだろう。
言葉に詰まったり、以下のように返答したら、まるで論理思考力がないと言える。
「そりゃあ、そういうもんだろ」
「会社が取り組んでいる方針なんだ。社長が言ってただろう」
「俺に聞かれても知るか」