ネットで話題になった「母親ならポテサラくらい作れ」論争

2.○○なんだから
4コマ「○○なんだから」
マンガ・イラスト=りゃんよ

少し前に世を騒がせた「ポテサラ論争」。覚えているでしょうか?

ある女性が子どもと一緒にお惣菜のポテトサラダを選んでいたら、見知らぬ人から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われた、という話でした。

SNS上では「『ぐらい』って何? つくるのけっこう大変なんだから」などさまざまな批判が集まったわけですが、この発言の一番寒いところは「母親=料理をするもの」という「らしさの決めつけ」でした。

あなたもきっとこれまでの人生で「らしさ」を押しつけられてきた経験があるでしょう。「女の子なんだから部屋くらい片づけなさい」「新人なんだからお茶くみぐらいしろ」……。そのたびに、「確かにそうかも」と従ってしまう自分と、「イヤだ」と反発する自分が、頭の中でせめぎあったのではないでしょうか?

「らしさ」というのはなかなか厄介です。男らしさ、女らしさ、子どもらしさ、大人らしさ……。その属性ごとの特徴・傾向はあるかもしれませんが、もちろん絶対ではありません。当たり前ですが人によります。

そう、この「人それぞれ」を許さない雑な圧力こそが「らしさ」の正体なんです。

人はそれを「偏見」と呼んだりもしますし、「同調圧力」の変形バージョンとも言えます。

相手の個性を無視する行い

私の知人が南米の友人と食事したとき、彼がお酒を飲めないのに驚き、つい「えっ、ラテン系なのに?」と言ったそうです。すると彼は笑って「じゃあ、『アフリカ系なら全員リズム感いい』って、本気で思ってるの?」とたしなめてきたのだとか。

同様に「女の子=整頓」「新人=お茶くみ」というのも、よく考えるとまったく関係がありません。雑なカテゴリーに押し込めることは、ただでさえ相手の個性を無視する行い。ましてや「こうしろ、ああしろ」と行動を押しつけるのは最悪です。

もし「らしさ」を押しつけられたら、すぐに「○○がみんな○○するわけじゃないよ」と、心の中で正論を唱えてきちんと抵抗しましょう。仮に片づけをするにしてもあなた自身がしたいと思ったからであって、決して「女の子だから」ではない……。

毎回「それとこれは関係ないからね」ときちんと頭の中で確認しないと、本当の「あなたらしさ」がどんどん損なわれてしまいます。