光源氏がもっとも輝いていたとき
「狙った女はかならず落とすプレイボーイ」
「同性さえも、妬むどころかだまってひれ伏すフェロモンの王者」
光源氏といえば、そういうイメージが世間にはひろまっています。しかし、物語のなかの光源氏は、はじめはそんなキャラクターではありませんでした。60歳近くになっても恋の現役だった「ハットトリック婆さん」、源典侍(げんのないし)に近づいたころから、ようやく「恋愛博士」とよべる存在になったのです。
時に光源氏、21歳。以後、須磨・明石への流離からもどってきた26歳ごろまでが、光源氏がいちばん、光源氏のイメージに近かった時期です。
そんな「光源氏らしい光源氏」が、もっとも輝いた場面といえば、花宴巻(はなのえんのまき)、右大臣邸でもよおされた藤花の宴のくだりでしょう。
右大臣は、東宮の母方の祖父です。東宮とは皇位を継承することが決まっている皇太子のことで、光源氏の腹ちがいの兄にあたるのちの朱雀帝がこの地位にありました。東宮の母で、右大臣の娘である弘徽殿女御は、光源氏の母・桐壺更衣を、中心となって迫害した人物でした。更衣が生んだ光源氏のことも、ずっと心よからず思っています。
さらに光源氏の正妻、葵の上の父である左大臣は、右大臣にとって最強の政治的ライバルです。二重、三重の意味で、右大臣は光源氏の「敵」なのでした。
にもかかわらず右大臣は、みずからの子息を使者に立て、自宅の藤花を愛でる宴に、光源氏を招きます。この宴は、右大臣家の私的なイベントではありますが、皇族や上流貴族をたくさん招いた盛儀でした。桐壺帝のすすめもあって、光源氏は招待に応じます。