男の「見た目」は年をとると逆転する?

「対等以下の女しか愛せない、いけ好かないヤツ」

そう思って、ふだんは光源氏に対して批判的な私でさえ、右大臣家の藤花の宴にのぞんだ彼には、無条件で魅了されてしまいます。

ほんものの「かっこいい人間」には、古今東西のちがいを越えて、ひとつの共通点があります。「長いものには巻かれろ」式の価値観を心から軽蔑しているいっぽうで、そんなじぶんが、主流派になれないことも悟っている――「不敵な自信」と「諦念」、このふたつを共存させているところから、「かっこよさ」は醸しだされます。

ハードボイルド・ヒーローがかっこいいのも、じぶんのタフさに自信をもち、どんな組織にも屈しない生きかたをしているからです。同時に彼らは、「名もない死者」としてじぶんがいつ、路傍に倒れるかもしれないことも知っています。

右大臣家の藤花の宴にのぞんだ光源氏には、そんな「かっこよさの条件」がぴったりあてはまります。彼は、右大臣家に対する軽蔑と反感を、みごとに衣装であらわしました。同時に、まもなくやってくる朱雀帝の治世、右大臣が執政者となる時代に、権力から排除されることも悟っていました。心の奥底には、

「藤壺への思慕がかなわないなら、この身はどうなってもかまわない」

という捨てばちな思いがあり、そのせいで大胆な行動にはしったとも考えられます。

この場面の光源氏の輝きは、「不敵な自信」と「諦念」からはなたれていた――このことは皮肉にも、のちになって光源氏自身が証明することになります。

30代後半になった光源氏を描いている行幸巻(みゆきのまき)に、源氏の最初の正妻、葵上の母を光源氏が見舞う場面があります。光源氏が大宮のもとをおとずれると、葵上の弟である頭中将がやってきます。頭中将は、直衣姿ではありますが、ズボンの部分を束帯風にあらためて、ややかしこまった装い。すこし太って貫禄がつき、見るからに「大臣」にふさわしい感じがした――この時の頭中将の役職は、内大臣です――と書かれています。

対する光源氏は、「今様色=流行色である濃い赤」の衣をかさね着した上に、例の「桜の唐の綺の直衣」といういでたちでした。かつて藤花の宴で着たスーツに、流行りのシャツをあわせた、といったおもむきです。光源氏はあいかわらず

「いけている若者」

という線をねらった着こなしをしています。

「しどけなきおほきみ姿=リラックスした、皇族らしい姿」

と評されていますから、やはり右大臣家の藤花の宴での装いに、印象が似ていたと考えられます。

このときの源氏は37歳。太政大臣として、臣下の頂点に立っています。その彼が、10年以上も昔の、「怒れる若者」だったころとおなじ服装をしているわけです。