さて、光源氏のこのくつろいだ装いには、重いメッセージがこめられています。

ほかの招待客が「礼装」で身をかためるなかへ、光源氏が「平服」出ていけたのは、生まれが特別だったからです。上級貴族にだけ、直衣姿での勤務が許されていたことからもわかるように、当時は「身分が高ければ高いほど、フォーマル度の低い装いがゆるされる」という原則がありました。光源氏の装いも、

あざれたるおほきみ姿=打ちとけた、いかにも皇族らしい姿

と評されていますから、生まれのよさゆえにゆるされた装いだったことはたしかです。

母親の宿敵であり、東宮の外戚として、将来、執政者となるはずの右大臣――そういう男が主宰する宴に、皇子でなければ着られないかっこうで姿を見せる。

「いくら権勢を誇っても、おまえはしょせん、生まれついての臣下に過ぎない。じぶんに流れる帝王の血は、おまえにはけっして手に入らない」

そんな主張を、光源氏は服装に託したのです。遅れて宴席に登場したのも、右大臣への挑発にほかなりません。

成りあがり者は、フォーマルな場に出ていくとき、どうしてもがんばりすぎてしまいます。たとえば、タキシードの着用がマストである宴席に、

「見るからに高級そうな生地でつくった一着」

を、新調して出かけたりするのです。

けれどもそういう席に、イギリスの旧家の当主、というような人は、ズボンの折り目がとれかけていたり、シミのひとつもついていたりするタキシードで出ていきます。彼らのタキシードの着こなしは、あまりお洒落でない日本のおじさんの、通勤スーツの着こなしに近いのです。

日本のおじさんにとって、通勤スーツは「日常着」です。タキシードを「だらしなく」着ることは、いかにタキシードが「日常着」に近いか――つまり、どれほどフォーマルな席に出なれているか――というアピールなのです。

右大臣家の宴会に、わざと「平服」で出むいた光源氏は、束帯を着てかしこまっているほかの列席者に、服装によって、こう語りかけたつもりだったのかもしれません。

「おまえたちも、『がんばりかた』はわかっているだろう。だが、いま俺さまがやっいてる『洗練されているから力を抜く』というワザは、はたして使えるかな?」