無意識だからこそ繰り返される差別
世間では、たとえば女性蔑視をめぐって、不適切な発言や物言いがだいぶ意識されるようになってきました。しかし、根強い習慣から無自覚にくり返される差別的な事例もあります。
妊娠、出産した女子生徒が退学になるケースもそれです。妊娠はひとりではできず、当事者はもうひとりいるはずです。しかし、出産したら一義的に母親に育てる義務があるような世間の扱い方があり、それに比べて、もう一方の当事者である男性は免責されていることもあります。
生まれた赤ちゃんをどう育てるのか。家族のサポートが必要なのは当然ですし、乳児院や養父母を探す必要が生じることもあります。養父母を探すサポートを行なっている組織もありますが、これらの手配も女性側の家族の負担になっています。
妊娠するのが罪であるかのような扱いでは、当たり前のように少子化になるでしょう。どんな状況でも社会が安心して支援するということであれば、罪ではなく、もっと子どもが祝福を受けるかもしれません。
相手に黙って配慮するより、まず話し合いを
こんな見方ひとつとっても、日本ではずいぶんとゆとりのないものの見方が横行しているようです。
近年、だいぶ理解が進みましたが、妊娠、出産の可能性のある女性社員が、いざ出産を迎えるにあたって育児休暇をとることに対し、どれだけの企業がサポートできているでしょうか。夫である男性が育休をとることにも、まだためらいや、同僚の目を気にすることが現実に起こっています。
そこで、気兼ねなく、「安心して育休をとっていいよ」という上司からの気持ちの伝達があれば、あるいは、職場での宣言があれば、みんなずっと育休をとりやすいはずです。
育休から戻ってきたときにも、問題が起こることがあります。
育児休暇から復帰した女性社員に対して、子どもがまだ小さいのだから、きつくない仕事のほうがいいだろうと、上司が気を利かせたつもりで、責任の軽い仕事ばかりを与えたとします。しかし、そうすることにより、女性社員がやりがいや充足感がもてないという不満を感じるケースがあります。相手によかれと思って配慮したつもりでも、相手の受けとめ方によってはまったく違ってしまうことがあるのです。
一番よいのは、きちんと話し合い、お互いの意向を聞いてから決めることです。
一方的な思い込み―アンコンシャスバイアス―は、よい結果に結びつかないかもしれない、ということをつねに意識しておくことが大事なのです。