本人が「ただの人」であると認識できるかが鍵

「無意識のバイアス」の無意識とは何でしょうか。なぜバイアスの前に「無意識」ということばがついているのでしょうか。さきほどの例から考えてみます。

退職によって、職業上の地位がなくなってしまった方も、これまで自分が尊重されていた日常からすぐに離れられるわけではありません。しかし、会社以外の場所で「尊重」を求めても無理な話です。本人の心のうちでは、そのあたりがまだしっくりこないのです。

その人は職歴の最後に取締役や部長といった、会社では重要な人物として大切に扱われていたのかもしれません。それでも、退職すれば「ただの人」です。

「ただの人」であることに適応できない人は、若者がなぜ自分をもっと尊重しないのか、なかなか理解できません。尊重されないことへの反発で、一段と力を見せようとして若者に威張ったり、命令したりすると、まさに「パワハラ」ということになります。

本人はこの「ずれ」や立場の変化、落差に気づいていない。だから「無意識」となります。立場の違いに無自覚であるために、不愉快も大きくなってしまいます。ついつい、いつものクセや、過去の自分との扱いの差に腹を立てて、よく立場を顧みないまま怒るという結果になるのです。この場合の「無意識」は「無自覚」ということと、ほぼ同じように用いていることばです。

「店員さんはあなたの部下ではない」と言ってあげる

退職後ということでなくても、ふだんから尊重される社内と、社外で利用する店のお客とでは立場が異なっています。店員さんは自分の部下ではないのですから、いつでも期待どおりの応対をしてくれるとは限らないでしょう。それどころか、部下だからといって、口の利き方からちょっとした振る舞いまで、すべてが自分の期待するとおりでないといけないというのも、すでにパワハラの発想です。

今の日本は、どこにでもこのような「無意識のバイアス」によるパワハラの芽があり、時代の変化にマッチしない人びとが昔のままに抱える自己イメージのために、突然パワハラの加害者として認定されてしまうような社会なのです。

さきほどの例でいえば、家族が「店員さんは、あなたの部下じゃないですよ」と諭してあげれば、本人も立場の違いを自覚して、自身の振る舞いに気をつけるようになるかもしれません。ですから、それほど深い無意識とも言えないでしょう。本人が薄々気づいていることもあります。

その人は、たとえば外国の旅行先で入ったコンビニで、日本と同じように威圧的な態度をとるでしょうか。場面によってまったく態度を変えるならば滑稽です。海外ではとらない態度を日本ではとるというなら、それは要するに「甘え」なのでしょう。

なぜ、「無意識」が問題になるかというと、本人が意識・自覚しているものはまだ直しようがありますが、無意識にしていることは、気づいてさえいないので、直すこと自体、難しいからです。だからこそ、これは大きな問題になりがちで、近頃世間のあちこちでニュースとなるのです。