長年、精神科に通う母親が認知症に。その傍若無人ぶりにウンザリ
父親が亡くなると(享年80)、長年精神科に通っている母親(当時73歳)は同居するひとり娘の蜂谷歩美さん(当時40歳)が経営する美容室に用もないのに何度もやってくるようになった。それまでの経験則で、母親が1日に来る回数が多ければ多いほど、その精神状態がよくないことはわかっていた。
古い銀行通帳を持ってきては、「こいつ(歩美さん)が私のを盗んだ」と言いがかりをつけたり、鍵をかけたドアを激しくたたいたり。最後は決めセリフのように「あんたなんか、もらわなければよかった! 返せばよかった!」とわめくのだ。
蜂谷さんが母親から「あんたを産んだのは私じゃない」(養子として迎え入れた)とまさかのカミングアウトをされたのは、10年前の夏、妊娠8カ月の身重だった頃だ。
蜂谷家は2世帯住宅で、2階は蜂谷さんと外資系企業に勤める夫と9歳の長男が住み、1階は母親が暮らしていたが、2階にあったものが留守中になくなることもしばしば。あるときは冷蔵庫の中で母親の老眼鏡が冷やされていたが、母親は「私のじゃない。私は2階に上がったことがない」としらを切る。
蜂谷さんの夫は、母親が2階に上がってくるのを防ぐため、階段に青竹踏みやペットボトルの飲料などを置いてバリケードを作った。すると母親は「バカにしてる!」と怒り狂い、階段の飲料を蹴り落とす。落ちた衝撃で容器が壊れ、階段や廊下は炭酸飲料でアワアワになった。
それ以降、2階のドアに鍵をつけた。
母親は30年以上前から精神科に通い、抗うつ剤や睡眠導入剤を服用していたが、自分の薬を他人に触らせないだけでなく、精神科の診察室には、絶対に他人を入れなかった。だが、ここまで奇行が増えてくると、母親の精神科医と連絡を取らざるをえない。蜂谷さんは「母は統合失調症ですか? 躁鬱ですか?」と訊ねると、主治医は「認知症です」と答える。さらに「認知症になる以前は?」と訊ねるも、主治医は首を傾げるばかりだった。
「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」
2011年6月時点で、母親は介護施設のデイサービスに週2回通い、介護サポートを週1回利用し始めた。蜂谷さん45歳、母親78歳になっていた。
認知症と思われる行動はその後も増えていった。例えば、2011年12月の深夜。真っ暗な玄関から母親の声がした。
「暖かくなりましたねえ。ええ、はい。ありがとうございます」
一人で誰かと話している。こちらが声をかけても反応しないため、手を引いて部屋の中へ移動させると、母親は何事もなかったかのように布団に入り眠り始めた。
夫は、母の玄関での奇行に気づいていたが見て見ぬフリ。蜂谷さんが不満を言うと、夫は仕事で疲れているのか「お前の親なんだからお前が看ろ! お前は俺の親なんか看る気はねぇだろう!」と取り合わなかった。
2012年のある日は、母親は突然2階に上がってくると薬の袋を見せつけ、「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」と叫んだ。蜂谷さんたちが呆然としていると、「私なんかどうでもいいんだ。全部飲んでやる!」と暴れた。
蜂谷さんは当時感じていた苦痛をこのように表現する。
「私は、常に両親に気を使って生きてきました。どうして『お前なんかもらわなきゃよかった』と言われても、言われた通りの職につき、婿に来てくれる人と結婚し、老後の面倒を見て、2世帯同居し、2ケタの小遣いまで渡していたのか……。マインドコントロールされていたのかもしれません」
聞けば、生みの両親は、蜂谷さんの母親の弟夫婦とのこと。弟夫婦に子供が産まれることを知ると(妊娠初期)、子供がどうしてもほしかった蜂谷さんの両親(育ての親)は「ウチに養女に出してほしい」と、祖父母(蜂谷さんの母親の両親)とともに土下座したそうだ。弟夫婦は泣く泣く承諾した。