開催国はメダルラッシュに

たとえば1992年のバルセロナ大会で、スペインは、全金メダルの5%を獲得し、世界のランキングでは6位。オーストラリアは、自国開催の前の大会の3.3%から2000年のシドニー大会では5.3%に躍進、そして、次のアテネ大会では5.7%と、さらメダル数を増やした。しかし、その後の北京大会では、4.6%に落ちているとのこと。ブラジルも似たような傾向を示しており、リオ大会の前では全体の1%しか獲得できなかった金メダルをリオでは2.3%に増やし、今回の東京大会では2.1%を獲得した。

この法則に当てはめると、日本は次のパリ大会でもかなりのメダルが期待できるというわけだ。

しかし、メダル獲得数にばかり注目するのは問題だという声も上がり始めている。日本オリンピック・アカデミーは、東京大会の組織委員会が公式ウェブサイトにチーム別(ほとんどが国別のチーム)のメダル獲得順位表を掲載しているのは、オリンピック憲章違反にもなりかねないと、有志による意見書を組織委員会に提出している。

「国対抗メダル競争」でいいのか

オリンピック憲章には、「大会は個人間の競技であり、国家間のものではない」とする記述がある。スポーツによる国際平和を希求するには、国別対抗による過度なナショナリズムの高揚や国家間の対立を避けるべきという考え方が根底にある。

五輪では、実は、メダルを一つも取れない国の方が多い。しかし、参加することに意義がある。今回初参加した難民選手団を見て、厳しい情勢の中でも力強く頑張っている人達に勇気づけられた人もいるだろう。

私が印象に残っているのは、走り高跳びで、カタールの選手とイタリアの選手が、金メダルを分け合ったシーンだ。審判に優勝決定戦を勧められたが、カタールのムタズエサ・バルシム選手が「私たちに金メダルを2つもらえないか?」と提案し、2人の金メダリストが誕生した。金メダルは1つだけでなくてもよい。分かち合うことの喜びを世界に示した、素晴らしい出来事だったと思う。

「ジェンダー」「性の多様性」が大きなテーマに

今回の五輪は、森前会長の女性蔑視発言もあり、ジェンダー意識、「性の多様性」や「性の扱い」も大きなテーマになった。

体操競技予選で、ドイツ女子代表チームがビキニカットのレオタードに代わり、足首までの脚全体を覆う「ユニタード」を着用して競技を行ったことが話題になった。これには、スポーツを性の対象とすることに対する抗議の意味があった。

性的マイノリティーの選手の活躍にも注目が集まった。ニュージーランドの重量挙げの選手であるローレル・ハバード選手は、トランスジェンダー選手として史上初のオリンピック出場を果たした。さまざまな批判がある中で、自分が自認する性でプレーすることが実現した画期的な出来事だ。