「万年バッティングピッチャー」諦めたプロ野球選手になる夢

私は1984年、秋田県で生まれた。

一人っ子でわがままに育った私を心配したのか、父が転勤族だったため当時住んでいた名古屋市で、両親は小学校3年生の私を少年野球チームに入れた。これが13年間続けることになる野球との出会いだった。中学生で千葉県市川市に引っ越したが、「将来はプロ野球選手になれる」と信じ、ひたすら野球に打ち込み、法政大学第一高等学校にスポーツ推薦で入学する。

高校時代、大きな挫折を味わう。2年生の春に右肘をけがしてしまったのだ。夏休みに手術を受け、再び球を投げられるようになったのは、3年生に上がった後だった。

小さい頃から甲子園を目指していたが、結局夏の予選のベンチに入ることもできずに終わる。今思えば当然の結果なのだが、当時は全てが嫌になるほど絶望したのを覚えている。付属校で大学受験の無かった私は、リハビリと練習を続け、大学野球の名門の法政大学でも野球を続けることにした。

6大学野球で優勝した時、神宮球場でチームメイトと記念撮影する山舩さん
写真=筆者提供
6大学野球で優勝した時、神宮球場でチームメイトと記念撮影する山舩さん

大学野球部のレベルは想像以上だった。甲子園や野球雑誌で見てきた選手が同級生として入ってきたのだ。私は万年バッティングピッチャーだった。

3年生の初め、野球推薦の新入生が自分の横で150km近い球を軽々と投げているのを見た時に、どんなにもがいても敵わない世界があると思い知らされた。

この時、私は小さい頃から憧れていたプロ野球選手になる夢は実現せずに「夢」で終わるのだと知った。

大学の野球部では万年打撃投手だった。6大学野球でチームは優勝した。
写真=筆者提供
大学の野球部では万年打撃投手だった。

水中考古学との運命の出会い

そんな2回目の挫折の中、卒業論文のテーマを決めるため、大学の図書館に通っていたある日、運命の1冊と出会う。

アメリカのジャーナリスト・写真家のロバート・F・バージェスが書いた『海底の1万2000年―水中考古学物語』(1991年、心交社)だ。

「フロリダにある『ウォーム・ミネラル・スプリングス』という鉱泉から1万年前の人間の頭蓋骨と脳が発見された。この鉱泉の水底には酸素が存在せず、水温もほぼ一定だという。有機物の保存に絶好の環境で、腐敗がほとんど起こらず保存されていたのだ」と書かれていたのを読み、衝撃が走った。そんなことがあるのか!

すぐに様々な図書館から水中考古学関連の学術書を取り寄せ、夢中になって読み漁った。

日本語で出版されている書物を読み終えた後は、英語の本もできるだけ取り寄せ、文章はさっぱり分からないが、そこに載っている写真だけを眺める日々が数カ月続いた。地中海やカリブ海をはじめ、世界中の美しい海の中で撮られた水中遺跡や発掘の様子を捉えた写真。気づいた時にはもう夢中だった。

ある時、写真には必ずと言っていいほど、「テキサスA&M大学」のクレジットがあることに気づいた。世界中で発掘する精鋭集団。こんな人達もいるのだなぁ、すごいなぁ、と写真を眺めていた。

法政大学の硬式野球部は、練習に参加できなければ退部しなければならない。しかし4年生になれば、プロ野球か、社会人野球を目指す選手以外は就職活動のために練習に出ないでもよいという規則がある。私も4年生になり、監督に相談して練習を休ませてもらうことになった。こうして、13年間の野球選手としての人生が、事実上終わった。