そして、私の運命を変える出来事がついに起こる。

2015年9月、3年に1回開催される大きな国際学会が開催された。「造船史と船舶考古学」に特化した学会で、世界中から船舶考古学者が集まってくる。数ある水中考古学関連の中でももっとも権威のある学会として知られている。

卒業式に臨む山舩さん(
卒業式に臨む山舩さん(写真=筆者提供)

私もフォトグラメトリについての博士論文を発表テーマとして申し込んだら、なんと審査に通ってしまった。

開催場所はポーランド北部の港町グダンスクの海事博物館だった。現地に到着した私は数人のヨーロッパの友人達と再会し、和やかな気持ちで学会の初日を迎えた。

5日間の開催期間で私の発表は3日目だった。15分間の私の発表が終わり、質疑応答が始まった。20近く挙がった手の中で、会場の後方に座っているある壮年の男性にマイクが渡った。普通はその場で質問するものだ。だが、その人は立ち上がり、なぜか私の方まで歩いてくる。

彼の顔が見えたときに私は悟った。

「終わった……」

世界中を飛び回る水中考古学者の誕生

マイクを持って歩いてきた紳士はフレッド・ホッカー博士だった。私が入学するずっと以前にテキサスA&M大学の教授を務めており、しかも私が専門とする沈没船復元再構築研究室の室長だった人物。世界中の船舶考古学者から尊敬されている大研究者だ。大学でもとても学生に厳しい教授だったらしい。そんな彼が、マイクを持ってこちらに向かってくる。殺される! 私は一刻も早く、その場から逃げ出したかった。

山舩晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)
山舩晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)

ホッカー博士は会場全体から見える位置で立ち止まり話し始めた。

「これまでも、3Dスキャンやフォトグラメトリを使用した研究事例はたくさん見てきたし、私自身も多くのデジタルスキャンの専門家と仕事をしてきた。彼らが持ってきたデータは、見栄えはいいが研究の役には立たなかった。でも今この発表を聞いて初めて、私はこのデジタルツールはしっかりと“学術研究”に使うことができるという確信を得た。こんなことは、はじめてだ!」

これ以上ない賛辞だった。

会場は一瞬静まり返り、その後、ざわざわしはじめた。そして拍手に変わった。

発表後、世界の研究機関から共同での発掘研究の依頼が舞い込むようになった。ここから、私の世界中を飛び回る水中考古学者としての生活が始まったのだ。

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