ホラーに切なさや優しさはあまりない

ただ怖い話を楽しみたいだけなら、ホラーを見ればいい。私は、怪談とホラーを一緒にしないでほしいっていつも言ってるの。ホラーは、人の思いなんかお構いなしに、突拍子もない怪奇現象で、人を驚かすでしょう。怖い、というよりも、ショックや脅しに近い。それに、ホラーは人や土地の歴史や、切なさや優しさはあんまり描かれてない。

怪談って何かな、ってずっと考えてきて、思ったんですよ。怪談が語り継がれる背景には、日本人独特の鋭い感覚があるんじゃないか、って。

鋭い視線の稲川さん
撮影=横溝浩孝

料理もそうですよね。昔は日本人がつくる料理の微妙で繊細な味付けが、外国の人にはなかなか理解できなかったりもした。料理だけじゃなくて、怪談でもなんでもそうなんですよ。日本の絵画も曖昧な淡い色使いで、繊細に描かれていますよね。それこそが、日本人の民俗性ですよ。柳田国男さんじゃないけどね。

――柳田国男が書いた『遠野物語』(1910年)は日本民俗学の原点と呼ばれていますが、明治時代は怪談として読まれていたそうですね。

そうなんです。現代風に言えば、『遠野物語』は、明治時代に岩手県の遠野で語り継がれてきた都市伝説をまとめたものなんですから。どこの誰かが都市伝説って勝手に名付けただけで、都市伝説ももともとは怪談だったんですよ。

以前ね、柳田国男さんの故郷にお呼ばれして、お話をさせてもらいました。そこで柳田さんが、民俗学に専念するために55歳で新聞社を辞めて、日本のあちこちを旅したと教えてもらいました。

実は、私も怪談を中心に活動していこうとタレント活動をやめたのが、55歳。怪談は、足で稼がないと。あちこち歩いて、不思議な体験をした人たちを探して、話を聞いて……。でも、そのなかで、怪談として語ることができる話なんて、ほんの一握り。100話聞いて、1話くらいですからね。

怪談集めは考古学に似ている

――人から聞いた話をヒントに怪談をつくるわけですか?

怪談って「つくる」「つくらない」ではなくて、自然にできあがっていくもんだと思うんだ。

稲川淳二『稲川怪談 昭和・平成傑作選』(講談社)
稲川淳二『稲川怪談 昭和・平成傑作選』(講談社)

たとえば、ある土地に幽霊が出るという話がある。私にその話をしてくれた人は、誰かに聞いたと言う。誰が最初に幽霊を目撃したのか、探っていくうちに、ある事件が代々語り継がれて、土地に定着していった話だと明らかになっていくようなことがある。

私は、よく怪談を集める作業を考古学者に例えて話すんです。発掘調査で骨が出てくれば、それが四足歩行の草食恐竜だと分かる。四足歩行の草食恐竜だとしたら、果たしてどんな色の肌をしていたか、どんな鳴き声だったのか……。いろいろな状況から推理していくしかない。怪談も同じなんですね。その町の歴史や、語ってくれた人の背景を知って、推理していく。もちろんインチキは、ダメですよ。苦労して、話を集めて、一生懸命に想像していく。そこが、怪談の面白さですね。

インタビュアーと楽しそうに話す稲川さん
撮影=横溝浩孝