運命の出会い
2007年、幼き日の計画通り独立を果たした田澤さんの元に、博報堂時代につながりができた東京電力の担当者から「伐採した大量の竹を活用する方法を考えて」という相談が持ち込まれる。
これが、田澤さんと竹との運命の出会いだった。
竹は、昭和の中頃までは、ほうきやかごなどに加工され、日用品として使われていたほか、食用になるたけのこも取れる、身近な存在だった。しかし、暮らしの道具がプラスチック製品に置き換わり、海外から安価な筍が輸入されるようになったことで竹林が放置されるようになっていた。また、竹は他の広葉樹等の成長を阻み、植生を乱す。根が浅いため、斜面が竹だらけになると土砂災害の危険も増してしまう。「竹害」という言葉が生まれたほどだ。
さらに竹は成長が速く、送電線にからむと停電の原因となってしまう。ほぼ毎日伐採する必要があるが、それが膨大な量になる。切った竹を積んで置いておけば、崩れる可能性もあり危険だ。
「マーケティング的な考え方をする時には、マイナスをプラスに、ピンチをチャンスに変えることが重要なんです。肥料を与えたり管理したりする必要がなく、成長が早いって、資源として最高じゃないですか。計画的に活用すれば、非常にサステナブルです。しかも、抗菌効果、消臭効果という機能性も高い。最強に魅力的な素材じゃないか、とすっかり魅力にはまりました」
田澤さんは早速、竹の商品化について頭を巡らせた。その時、「誰もが毎日使うものがいい」と思いついたのがタオルだった。
(後編へ続く)
(文=山脇麻生)