就活では60社以上を受けて全滅し、その後も仕事を転々としていた河野リエさんがたどり着いたのは、起業家の夫についてやってきたケニア。アパレル未経験で英語もほとんど話せなかった河野さんは、どうやってケニアでアフリカ布のアパレルブランドを立ち上げたのか――。
ラハ・ケニアの洋服を着た娘を抱く河野リエさん(右)。隣は創業時から同社に製品を提供するテーラーのウィリアムさんとその子どもたち
写真=河野リエさん提供
ラハケニアの洋服を着た娘を抱く河野リエさん(右)。隣は創業時から同社に製品を提供するテーラーのウィリアムさんとその子どもたち

小さすぎて入らない!

ケニアの女性たちが着こなす個性的なアフリカ布の洋服に魅せられ、「これを日本で売ろう」と考えた河野リエさんは、2018年12月にアフリカ布のアパレルブランド「RAHA KENYA(ラハケニア)」を立ち上げた。アパレル未経験だったが、「やれるかな?」ではなく、「やりたい! とにかくできることを探そう」と動き出した。

まずは、知人のつてで、信頼できるテーラーを紹介してもらった。と同時に、ツイッターで「アフリカ布のオーダーメード服を先着5名で作ります」と募集を開始。テスト販売なので、予定通りに思っていたような商品が届くかわからない面もあるが、そうした条件付きでも枠はすぐに埋まった。「ブランド最初の商品はお客様に手渡ししたい」という思いから、日本に帰国した時に直接手渡しすることにした。

ところが、この商品が大失敗だった。サイズが小さすぎて、体に全く合っていなかったのだ。

「直接採寸ができないので、お客さまに『ここをこんなふうに測ってください』とお伝えして、ご自身で測ってもらった数字をテーラーさんにお伝えしたのですが、それがうまくいかなかったんです。『アパレルの経験もないし、縫製の知識もないけれどやっちゃえ!』と、エイヤとやった結果がこれです。浅はかですよね……。お客様には平謝りでした」

しかし注文してくれた人たちは、ツイッターでブランドの立ち上げのいきさつを見守ってくれていた人ばかり。「もう1回作ればいいじゃん。待つから」と言ってくれた。「本当にありがたかったです。ケニアに戻って作り直して、改めて商品をお渡しすることができました」

マーケットでビジネスパートナー探し

洋服づくりの難しさに直面した河野さんは、「洋服は怖くなってしまったので(笑)」さしあたっては採寸の必要がないパソコンケースを販売しようと思い立つ。しかし、小物が作れる職人の知り合いはいない。

自身が作ったパソコンケースを手にするテーラーのウィリアムさん。2021年4月撮影(写真=河野リエさん提供)
自身が作ったパソコンケースを手にするテーラーのウィリアムさん。2021年4月撮影(写真=河野リエさん提供)

そこで河野さんが向かったのは、露店が軒を連ねる地元の市場「マサイマーケット」。ミッションは、ハンドメードの商品を売る職人とコネクションを作ることだった。

「その頃の私といえば、100のことを『ワンハンドレッド』ではなく、『ワン・ゼロ・ゼロ』と言っていたぐらい英語が話せませんでした。『Can you make this one?(これ、作れる?)』という一文だけ頑張って覚えて、サンプルを見せながらいろんな人に話しかけました。作れると言ってくれた人には『プリーズ、ナンバー』と言って紙に電話番号を書いてもらいました」

そんな中で、一番レスポンスが良く、対応が誠実だったのが、当時21歳のテーラー、ウィリアムさんだった。

今ではラハケニアの製品の大半に関わっているウィリアムさんだが、オーダーしたものとは違う製品が大量にあがってくるという珍事件が起きたこともある。

2019年4月、ラハ・ケニアの仕事を始めてすぐの頃のウィリアムさん。スラムにある職業訓練校の一角を借りていた
写真=河野リエさん提供
2019年4月、ラハケニアの仕事を始めてすぐの頃のウィリアムさん。スラムにある職業訓練校の一角を借りていた