仕事は地道で泥臭い

最初はアフリカ行きを心配していた母親も、SNSを通して娘の楽しそうな姿を見て気持ちが変わってきた。今では、日本での最終検品や発送業務を担当してくれているそうで、「貴重なアルバイト戦力です」と河野さんは笑う。

3人でナイロビの布地店で布選び
3人でナイロビの布地店で布選び 写真=河野リエさん提供

スタッフはほかに、日本人の女性が2人いる。

「一人は元看護師で、もともとケニアのストリートチルドレンを支援するNPOで働いていました。ストリートチルドレンが路上生活を抜け出して自立するための雇用先がないことにジレンマを抱えている時に、ツイッターで私を見つけてくださったんです。もう一人は元旅行代理店勤務の女性。インスタライブやオンラインイベントでインターンを募集したところ、『自分を変えたい』と応募してくれました」

社員2人に囲まれ自社製品を持つ河野さん(中央)
社員2人に囲まれ自社製品を持つ河野さん(中央) 写真=河野リエさん提供

アフリカと日本を股にかけた、アパレルの仕事。キラキラした、華やかな仕事だと勘違いされることもある。

「でも実際の仕事は、地道で泥臭いんです(笑)。2人とも、そこを理解しながら、主体性を持って働いてくれるので、本当に助かっています。これ以上はいないんじゃないかというほどの人に来てもらえたので、今後の採用が心配なぐらい」

洋服や小物など商品の製作はケニアのテーラーや職人が行っており、現地での動画撮影もケニアの若者が担当。「ほかの仕事も、できるだけケニアの人に頼みたい」と河野さん。現在、ケニアでは美容系やクリエイター系の職業が人気だそうで、日本人と仕事をし、日本で多くの人が動画作品を見ているということが、彼らの自信につながっているという。

スラム育ちのテーラー、ウィリアム

応援してくれる顧客に、職人やテーラー、想いを共有できる頼もしいスタッフ。少しずつ仲間を増やし、ブランドを育ててきた河野さんだが、それは創業時からラハケニアを支えてきたテーラーのウィリアムさんとて同じだ。

最初は職業訓練所の片隅を借り、ミシン1台で作業をしていたが、河野さんからの発注を受けるようになって3カ月後には、小さいながらも自分のアトリエを構えるようになった。月収も2万~4万円と、大卒者の給料と同等か、時には大きく超えるほどに。さらに生産量が増えた2年半後には、もっと広いアトリエに移り、ミシンを5台に増やした。アシスタントも、忙しい時には最大3人雇うまでになった。

現在のウィリアムさんのアトリエ。ミシンは5台に増えた
現在のウィリアムさんのアトリエ。ミシンは5台に増えた 写真=河野リエさん提供

「実は、彼と取り引きするようになって2カ月ぐらい経った頃、何気なく『将来の夢って何なの?』と聞くと、『僕はスラム出身だから、スラムに雇用を作りたい』と話してくれたんです。そこで初めて『スラムの出身だったのか』と知りました」

幼い頃から手先が器用だったウィリアムさんは、スラムにある職業訓練校で洋裁の技術を身につけた。河野さんと彼が出会ったのは、彼がそこを卒業し、小物を作ってマーケットで売り始めてすぐのタイミングだったのだ。