ヒモの思う「相性」の正体
世間では、相性のよさを測るひとつの基準として、
「相手の嫌なところもふくめてまるっと受け入れることができるかどうか」
が、しばしば持ち出されます。
しかし、「妥協」だって「受け入れる」だって、「折り合い」だって言葉の選び方ひとつですし、我慢の程度も人それぞれです。
目のまえの人に固執するあまり「受け入れられる!」と虚勢を張る人も少なくないでしょう。そう考えると「相手の嫌なところもすべてまるっと受け入れることができるかどうか」の基準は、少し危うさをはらんでいるともいえそうです。
そこで、僕が考える相性のよさを測るひとつの基準を紹介したいと思います。
それは「関係性を『ゼロベース』で考えてくれる人かどうか」です。
これはヒモだからこそ強調できることでもあります。
たとえばいまの彼女でいえば、辛いものが苦手なので僕の好みに反し麻婆豆腐もカレーも甘口に作らなくてはなりません。また、会社に所属した経験のない僕に対し、ビジネス用語を駆使するスタンスがハナにつくことがあります。
「バッファってなんだ! 僕にもわかる言葉を使ってくれ!」なんていったりもしますが、いっこうにやめる気配はありません。
もちろんむこうにだって僕に不満はたくさんあるでしょうし、ないとはいわせません。
しかし、ここで強調したいことは、相手に合わせるヒモだって100パーセント相手に合わせることは不可能であること。
そのうえでなぜいっしょに生活できているかというと、一般的なお付き合い像を取っぱらったうえで、彼女が僕とのお付き合いを「私とあなた」を出発点としゼロから考えてくれたからです。
普通に生きてきて「ヒモを飼いたいなぁ」なんて思わないでしょう……。
のろけるつもりは毛ほどもありませんが、二人にとっての居心地のよい関係をおたがいに考えることができたからこそ、共同生活がうまくいっているんだと思います(いまのところ)。