合わない人からはいつでも逃げていい
きわめつけはパソコンを閉じ、外に出ると……、
「自分も、自分を苦しめるあの人も、あの大群のなかのひとつにすぎない」
と自分のかかえる悩みや諸問題の些末さが浮き彫りになることもあります。
自分の想像の何倍も人の数やコミュニティが多いと知ることで、合わないと思えばいつだって逃げていいことや、意地悪な人に付き合う時間や心がもったいないということを身をもって理解することができますし、いろんな出会いを求めて恥をかいたっていいや。と勇気づけてくれるきっかけにもなるでしょう。
もちろん物理的にも時間的にもすべての人に会って吟味することは不可能ですし、どんなに探したところで、まるでデコとボコが合わさるような「相性100パーセントの人」なんていくら探したっていません。
逆にいえば、「袖振り合うも多生の縁」といわれているとおり、1億人以上のなかから出会ったことを運命ととらえるのであれば、それが「運命の人」です。
小学生のころ僕は友達とあるテレビゲームについて、「どちらのキャラクターが好きか」で大げんかをしたことがあります。
けんかの内容自体は小学生らしい他愛もないことなのですが……。
問題なのは、クラスでそのゲームタイトルを遊んでいるのが僕とその友達の二人だけであったことです。
相性100パーセントでわかりあえる人などいない
クラスの大半に受け入れられないマイナーなゲーム、ハマっているのは僕と彼の二人だけ……ここだけ切りとればものすごく相性がいいように思えますが、最後の最後で三つ編みリボンが似合う女の子の幼なじみがいいのか、一見ツンとしているものの、最後にやさしさを見せる魔法使いの卵がいいのかで大もめしたわけです。
同じ学校の同じ学年、同じクラスで同じゲームを趣味とするまで気の合う二人だからこそ、ちょっとのずれがかえって大きな亀裂をうんでしまうことだってあるのではないでしょうか。
相性がいいことはあっても、お互いの持つ理想像が寸分たりともずれないなんてことはありません。
「じゃあ、やっぱり解決にならないんじゃないのか?」「いまの人間関係で妥協しろということか」ときかれれば、そういうことでもありません。
「めっちゃ人はいるけど、相性100パーセントでわかりあえる人などいない」と理解することが大事だと思うのです。