「お灸をすえろ」で政権交代をしても結果は同じ
ご存じのとおり、オリンピック演出の人事をめぐる騒動や、首都圏の急激な感染拡大により、国民世論は一気に政府批判に傾いている。混迷をきわめる社会状況の責任は、組織委員会だけではなく政権にもあるとして「自民党にはもう日本を任せられない。お灸をすえるべきだ!」という機運がにわかに高まっている。十数年前にも見た光景だ。現時点では確実ではないものの、都議選では思ったほど自民党の議席数が伸びなかったことから、次の解散総選挙ではもしかしたら政権交代があるかもしれない。この1~2カ月の社会状況次第だが、可能性はある。それほど小さくはない。
しかしながら、「お灸をすえろ」「辞めさせろ」「失敗責任を取れ」という国民の「怒りの声」によってのし上がった次なる政権が出てきたとしても、その「怒りの声」が今度は自分たちに向けられないように、自民党と同じ責任回避的スキームを実践するようになる。そして、期待を裏切られた国民はまたキャンセルして別の政権に挿げ替える。同じことが延々と繰り返される。
本当に変わるべきは、国民の「感情優先主義」
自民党政権や菅義偉や西村康稔は「倒せばハッピーエンドが訪れるわかりやすいラスボス」ではない。むしろ「アイツらが諸悪の根源だ! あいつらを倒せばこの国はもっとよくなる!!」という声こそが、この国のリーダーたちを責任回避的で事なかれ主義的にして、失敗しないためであれば国民の不利益も脱法的スキームもためらわない本末転倒な存在にしてしまった。
本当に変わるべきは政党ではなくて、この「均衡」をボトムアップで作り出してしまった国民の「感情優先主義」だろう。
今日の政治家をはじめとするリーダーたちの、上に立つ者としての矜持や責任をまるで感じられないふるまいは、一時の感情の盛り上がりを振り回して人治主義に走る市民社会の写し鏡である。いわば共犯関係なのだ。