ブローカーを頼って不法入国
そんな不法就労者の1人が、2年前に出会ったインドネシア人のスリスさん(当時35歳)である。
スリスさんは2017年、観光ビザで来日した後、不法就労を続けていた。私と会うまでの2年間で仕事を2回変わり、取材当時の就労先は愛知県内の鉄工所だった。
彼女は、日本での不法就労を斡旋するインドネシアのブローカーに日本円で約60万円の手数料を支払い来日していた。母国に夫と幼い子どもを残してのことである。
日本で出稼ぎをしたいなら、実習生として合法的に入国することもできたはずだ。にもかかわらず、大金を払ってまで不法就労を選んだ理由について、彼女はこう語っていた。
「実習生になるためには、私は年を取りすぎています。インドネシアでは、実習生は20代でないと難しいんです」
不法就労せざるを得ない実情
スリスさんには、日本で不法就労を経験した親戚がいる。そのインドネシア人男性は2000年代前半に実習生として日本で3年間働いた後、いったんインドネシアに戻って不法就労するため再来日した。スリスさんと同様、斡旋ブローカーを頼り、観光客を装ってのことだ。
現在は日本の法律が改正され、実習生は最長5年まで働ける。また、「特定技能」という在留資格に移行すれば、さらに5年の就労も可能だ。しかし、当時の実習生は3年の就労を終わると、帰国するしか選択肢がなかった。
その男性と私は、彼が不法就労していた2008年に知り合った。当時、彼は愛知県内にあるパチンコ台の製造工場で働いていた。その後、「リーマンショック」で景気が悪化し、彼は工場の仕事を失った。他に就労先が見つかる当てもない。そのため自ら入管に出頭し、09年にインドネシアへ帰国する。
私は入管への出頭に同行した。そして彼がインドネシアに戻った後も、連絡を取り続けた。その彼が「一度、会ってもらいたい」と依頼してきたのが、妻のいとこであるスリスさんだったのだ。