約2000年前の中国。中原を駆けた男たちは、それぞれの夢を追い、やがて死んでいった――。彼らのドラマはなぜ私たちを魅了し続けるのか。北方謙三氏は『三国志』(全13巻)で、前例のない人物描写に挑み、高い評価を得た。氏は英傑の生き様からなにを読みとったのか。
諸葛亮孔明といえば負け知らずの天才軍師のイメージが強い。だが華々しい成果を挙げた戦といえば赤壁の戦いと、7度捕らえては7度放して孟獲(もうかく)を帰順させる話で知られる南征ぐらいのものだ。実は諸葛亮はほとんどの戦いに勝っていない。勝ってはいないけれど、大きく負けてもいない。これは魏や呉に国力では圧倒的な差をつけられていたことを考えれば勝ちに等しい。国力の差を埋めたのはやはり戦略だ。全体を見渡す戦略眼と、その戦略に基づいて組み立てる戦術眼には、抜きんでたカリスマ性があった。

諸葛亮●181年生まれ。字は孔明。呉の大将軍諸葛瑾の弟。蜀漢の丞相として劉備に仕え、劉備の死後は後主劉禅を助け、南方を征伐して国を安定させた。その後は5度の北伐を行ったが、大きな戦果は得られず、五丈原で病没した。
しかしながら『正史』の『蜀書・諸葛亮伝』をよく読むと、諸葛亮が民政の人であることがわかる。天然の要害といわれた峻険な蜀の地で、魏に拮抗できないまでも対抗しうる兵力を維持できたのは経済力があったから。たくみな統治で富を上げていたから軍を維持できたのだ。
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(構成=小川 剛 撮影=大杉和広)