複雑な家庭環境が自立心を育てる

中川さんの故郷は島根県出雲市。小学校まで片道40分の通学路は、山道に実ったアケビやイチジクを食べながら歩いた。四季ごとに移り変わる色とりどりの草木の美しさに、毎日感動していたという。

しかし、家庭環境は複雑だった。親の都合で何度も引っ越したことから、持ち物はいつも最低限。小学4年生で両親は離婚。母・妹と暮らしていたが、数年後、再婚した父に引き取られた。しかし、再婚相手との間に立て続けに子どもが生まれ、自分は経済面で親に頼れないことを早くから悟った。

「今思えばかなり複雑な家庭環境だったのでしょうけれど、気にしていなかったんです」と中川さんは淡々と語る。親に対して反発するというよりも、「親に頼らず生きていこう」と考え、合理的でミニマムを追及する精神が育っていった。

高校生からプログラム一筋 Windowsの日本上陸に感動

大学の学費を用意できないことから、中学3年生の時点で進学校への進路はあきらめ、県内の公立高校で最も倍率が高かった「情報処理科」を志望した。この選択が、今後の人生を支えることになる。

商業高校に入学して学んだのは、プログラミング言語・COBOLだ。まだWindowsも登場していなかったころのことである。プログラミングに興味はなかったが、ロジカルでグレーな部分がないところは気に入った。卒業後は地元でIBMのオフィスコンピュータを販売する会社に、プログラマとして就職した。

COBOLで書かれたコード
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1993年にWindows3.1が日本で登場したときは感動した。「今までは黒い画面に白い文字が浮かび上がるだけだったが、いろんな色やグラフィックが出てくるようになりました。これがあれば世の中を便利にすることができる、そう思いました」

発売されたばかりのWindows95を全社員に配布したときは、中川さんが現場の社員に使い方を教えて回った。「これで便利になる」とみんなが喜んでくれる姿に喜びを感じた。