常に前向きな彼の姿に、こちらが嘆いたり、不安に陥ってしまったりしたら、彼に失礼だな、と思うくらいでした。家族も、明るい方へ、明るい方へと、考えるよう意識しました。

それでもさすがに衝撃を受けたのは、余命の話が出たときです。3カ月という短い期間を、正直どう受け止めてよいのかわかりませんでした。主治医の先生は患者本人には余命を伝えない方針でした。家族もひとまず旭に伝えるのは保留にし、彼の今後の人生をできうる限り明るいものにしようと考えました。

余命を本人に伝えるべきなのか

放射線治療後の退院は難しいと言われましたが、本人の強い希望で自宅療養に踏み切ることにしました。

退院後の通学について学校に相談すると、林(直人)副校長と養護の内藤(かおり)先生が大船から1時間以上もかかる東海大学医学部付属病院まで足を運んでくださいました。そして主治医の先生と話し合ってくださいました。私も同席したのですが、主治医の先生は、「旭君はみんなと一緒に高校を卒業することはできません」と断言されました。(余命)期間を告げられたときよりもショックで、涙が止まりませんでした。

主治医の先生は、「病院にいる僕は退院後の旭君に何もしてあげられないんです。先生方、よろしくお願いします」と栄光の先生に頭を下げてくださいました。林副校長と内藤先生は、卒業できないとわかっている生徒なのに、学校として旭に何ができるのかを必死に考えてくださいました。私の涙の理由は、ショックから感動に変わりました。

旭自身に余命をどう伝えるか。そもそも伝えるのか、伝えないのか。それは大事なテーマでした。それまで、どんなリスクも包み隠さず旭に話してこられた主治医の先生ですが、余命については「本人には伝えない。自分でいずれ『いよいよだ』とわかるときが必ず来る」という持論でした。

できる限りのことをし尽くし、生き抜いてくれた

次に主治医になってくださった先生は「伝える、伝えないについてはケースバイケース。余命が明らかになって『これをやっておきたい』と思う場合もある」。別の先生は「自分の体の情報なのだから伝えて当然。ただし、ご両親が話さないでいるのに、それを飛び越えて話すことはしない」とのお考え。ドクターによって見解はさまざまでした。

結果的には、こちらから旭に伝える、ということはしませんでした。でも、つらい現実を必死で隠す、というのとは違います。本人が尋ねてきたら、いつでもオープンに話すつもりでした。旭の病状が変化するたびに、その時のメインのドクターに、旭に説明する準備はお願いしていました。