旭はどれだけつらい状況になっても、周囲のことを気にする優しさは失わなかった。学校に行きたいという気持ちを心の底に持ちながら、音楽に喜びを見つけ、誰かとつながり、誰かの役に立つことまでを考え、曲を作った。「やっぱり旭は旭だ」と思いました。

余命を話題にしなくても、命の重さ、一瞬一瞬の大切さ、周りへの感謝、それらをわかっている子でした。できる限りのことをし尽くし、生き抜いてくれたと思います。

私は今、「なぜ16歳だったのだろう」とよく考えます。まだその答えは出ません。旭と同じ世代の皆さんと、一緒に考え続けていけたらと思います。(一部抜粋)>

雨上がりの青空の下で行われた卒業式

旭が亡くなってしばらくすると希のところに、彼の生き方に勇気づけられたという感想が届く。晩年の取り組みがテレビや新聞で取り上げられたためだった。

旭が旅立って5カ月経った10月21日、鎌倉市は旭に感謝状を贈った。彼の楽曲と前向きな姿勢が、多くの市民に勇気と感動を与えたのが理由だった。

栄光学園66期の卒業式は18年3月1日、大講堂で開かれ、希も出席した。式を前に同級生から招待状が届いていた。

〈僕たちの巣立ちをちゃんと見届けてくださいね、笑!〉(吉田)
〈栄光生66期全員の旭とともに迎える最初で最後の卒業式です 是非ともいらして下さい!〉(小松原)

式の当日は未明から天気が荒れ、午前8時前には雨が一層強くなった。その後、うそのように晴れ、10時前には気持ち良いほどの青空が広がった。

式の開始(10時20分)前に、希は玄関から大講堂まで、緩やかな坂を歩きながら空を見上げた。校舎は3階建てから2階建てになり、以前にも増して空が広くなったように思った。

開式の辞のあと、卒業生173人全員の名前が呼ばれ、望月が一人一人に証書を手渡した。旭の作ったピアノ曲が講堂に流れた。

望月はこうあいさつした。

「一昨年亡くなった加藤君も講堂のどこかで参加しています。社会に出て、悩んだときは広い空を見上げてほしい。栄光学園の広い空を見上げてほしい」

卒業証書と桜の花
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「66期を作ったのはオタクの一人、加藤旭だ」

栄光学園付司祭、萱場基かやばもといは旭を車いすやストレッチャーで迎えた経験を紹介し、「旭君は病気が進行してからも、他者のために生きることを考え続けた。旭君がまいた種子があなたたちのものとして育っている」と述べた。

卒業生代表の西村勇人は、栄光学園は「オタクの集団だ」と笑わせたあと、「オタク」は専門に熱くなるという意味だと説明し、こう続けた。

「私たち66期を作ったのはオタクの一人、加藤旭の存在だ。10歳までに約500曲を作った。その加藤旭は我々の進むべき道を示している」