ある教育施設では、社長の長男と長女を勤務させていた。わがままな長男は、自分の思うとおりにならなければ、家族や周囲の者を容赦なく叱責した。しかも、児童らの親に対しては、「児童たちのために全力で学校を変えている」と唱えてまわるような状況であった。それで長男の処遇についての相談を受けることになった。

社長は「長男を直ちに辞めさせたい。ただ、教育者として、家族間のトラブルが世間に知られるとまずい」という、なんとも定まらない姿勢だった。「人の風評をコントロールすることはできない」ことを説明しても、理解していただけず、案件としてお受けしなかった。

風評に悩まされることなく事業承継を遂行するには、「社長の椅子を手放す」という覚悟が不可欠である。手放すからこそ手に入る将来の繁栄がある。さりとて、なかなか覚悟できないところに社長の悩みがある。

窓際に立って外を眺めるビジネスマン
写真=iStock.com/baona
※写真はイメージです

「社長業の魔力」オーナー社長が引退したがらない理由

オーナー社長の楽しみは、何といっても、自社のヒトとカネを自由に動かすことができることだ。自分の判断の下でヒトとカネを動かして利益を手に入れることは、知的好奇心に満ちている。それだからこそ、経営の重責を背負いながら、これまでやってくることができた。しかも周囲からは「社長」と呼ばれて尊重されている。「社長」というポジションで人脈も構築している。

オーナーにとって、自分の人生のすべてが「社長」という立場を基礎に成立している。自分と「社長」という肩書きが不可分になっている。それはしだいに「社長」という立場に対する執着となり、それが離れることへの恐怖になっていく。「社長を辞める」ことが、ときに自分を否定することのようにすら感じられる。

社長業は、やればやるほど自分と一体化して、離れることが難しくなる。そこに社長業の魅力と魔力が共存している。気がつけば、自分の両手が社長の椅子に鎖でつながっている状態になっている。

社長の椅子はひとつしかない。辛くとも自ら鎖を断ち切り、椅子から立ち上がらなければならない。椅子から離れれば、もはやヒトもカネも自由に動かすことができない。会社における居場所も、見慣れた通勤の風景も、あらゆるものが変わってくる。拍手喝采は新たに椅子に座った後継者に向けられ、自身はいつのまにか「先代」と呼ばれるようになってくる。

ある社長は、後継者に事業を渡した後、「(社長の仕事は)あれほどしんどかったけど、いざ辞めてみると寂しいな。声をかけてくる人も少なくなって」と話されていたのが印象的だった。まさにありのままの心情だろう。本人にとっては「これほど仕事に邁進してきたのに」という一抹の不満もあるだろう。