選手の事情や心情を考慮したほうが、いい結果に終わるはず
会見は、大会やツアーの主催者がいて、選手がいて、メディアがいて、その三者が「三権分立」のごとくトライアングル型でつながって初めて、いい音が鳴り響く。均衡の取れたトライアングルを保とうと三者それぞれが歩み寄り、耳を傾け、寄り添おうとして初めて、いいアウトプットが生まれる。
社会や集団に規則や規定が必要なことは言うまでもない。だが、四角四面にそれを当てはめようとするより、選手の事情や心情を考慮して歩み寄ろうとすることのほうが、最終的に生み出されるものは、むしろ大きいのではないだろうか。
会見の形式や場所を柔軟に変えて対応する米ツアーの歩み寄り。選手の気持ちに寄り添おうとするメディア。ツアーや大会、メディアの期待に応えようとする選手。三者の心の合致があれば、会見は誰に取ってもハッピーな場所になり、そこから生み出される報道がファンにとって有益なものになる。
ただし、目に見えない「心」がキーワードゆえ、なかなか理解できないこと、気付かないことはある。
帝王ジャック・ニクラス「私は彼女を責めない」
ゴルフ界の帝王ジャック・ニクラスは、大坂なおみ選手に対して、こう言っている。
「彼女が問題を抱えているかどうか、それが本当に彼女にとって問題かどうか。それは、キミたちメディアにも私にもわからない。彼女と、たぶん彼女の主治医にしかわからない……。私は彼女を責めないし、気の毒に思う。そして彼女が必要としていることが得られる状況になることを望んでいる」
大坂選手が会見に大きなストレスを感じていたことに、気付いていた人、理解していた人は多くはなかったのだろう。
もしも彼女がもっと早い段階で「不安です」「大きなストレスです」と声に出していたら、もしも主催者やメディアがもっと早い段階で彼女のそういう声を引き出すことや耳を傾けることができていたら、きっと何かが違っていたはずだ。彼女の声をメディアが拾い上げて拡声することも、できていたのかもしれない。うつ状態に陥る前に、苦しむ前に、誰かが助け舟を出すことができていたのではないかと思うと、メディアの一員として残念に感じられる。
どれほどビッグな選手であっても、どれほどビッグな大会であっても、どれほど影響力のあるメディアであっても、会見という場を構成するのは、突き詰めれば、人と人だ。
三者のトライアングルは人間どうしの触れ合いで均衡を保つものであり、お互いの真摯な歩み寄りが何よりのカギとなる。
大坂選手の一件は、その均衡がどこかで崩れてしまったということなのではないだろうか。しかし、バランスを取り戻すことは、できるはずだ。声を上げ、会話や対話をすることで、お互いに歩み寄り、寄り添えるのだと私は思う。
テニス界も、ゴルフ界も、そこに関わるすべての人々が、会見の在り方と自分自身の関わり方を省みるべきときなのかもしれない。トライアングルの中で、自分は歩み寄っているのかどうか、寄り添えているのかどうか。自戒を込めて、今一度、振り返ってみたい。