「開催の努力あきらめるな 菅首相は大会の意義を語れ」と産経社説
5月28日付の産経新聞の社説(主張)は朝日社説に対峙するかのように「東京五輪 開催の努力あきらめるな 菅首相は大会の意義を語れ」との見出しを掲げる。分量も朝日社説と同じ大きな1本社説で、次のように書き出す。
「今夏の東京五輪・パラリンピック開催に向けて政府や東京都、大会組織委員会は努力を続けてほしい。それは新型コロナウイルスの感染を抑え、社会・経済を前に進める上でも大きな一歩になる」
「大きな一歩」とは一体なんだろうか。一歩を踏み出しても、その先がないのであれば、早めに引き返したほうがいいのではないか。
ただし、産経社説はこう書いている。
「政府や組織委が掲げる『安全・安心な大会運営』は、前提であって答えではない。開催意義をあいまいにしたまま『安全・安心』を繰り返しても、国民の理解は広がらない。菅義偉首相にはそこを明確に語ってもらいたい」
これはその通りである。菅首相はこの産経社説の主張に耳を傾けるべきだ。
「世論の反発を恐れることはアスリートとしての不戦敗に通じる」
そして産経社説はこう訴える。
「アスリートにも同じことを求めたい。それぞれが抱く希望や不安の真情を、自身の言葉で聞かせてほしい。先が見えない中で鍛錬を続ける彼ら彼女らの不安は国民の不安にも通じる。だからこそ日の丸を背負う選手たちには、五輪を通して社会に何を残せるのか、語る責任がある」
「もの言えば唇寒く、時に理不尽な批判を招く風潮は恐ろしい。それでも社会に働きかける努力を続けてほしい。世論の反発を恐れ、口をつぐんだまま開催の可否を受け入れることはアスリートとしての不戦敗に通じる」
選手に「語る責任」を求めているが、これに共感する読者はどれだけいるだろうか。たとえば白血病による長期の治療から見事に返り咲き、五輪代表入りを決めた競泳女子の池江璃花子選手に対してさえ、SNSには代表辞退などを求める誹謗中傷が多数寄せられた。
「世論への恐れ」「口をつぐんだまま」「アスリートとしての不戦敗」との指摘は、あくまで個人として発言することになる選手たちには酷な要求だ。しかも社説には記者の署名は記されない。社説は論説委員の合議で執筆されるからだ。
選手個人には発言を求める一方で、それを求める記者が名乗り出ないというのは不公平ではないか。こうした意見を書くのなら、社説ではなく、論説委員の署名記事とするべきだ。個人として批判を受けない立場から、上から目線で「責任を果たせ」と書いても、それは無責任の謗りを免れない。
産経社説はこうも指摘する。
「国内外のスポーツ界は昨年来、有観客の大規模イベント開催を可能とする知見を集めてきた。これまで、深刻な感染拡大は起こっていない。今夏の東京五輪も感染リスクを極力下げた上で開催することはできるはずだ」
これに対して朝日社説は「IOCや組織委員会は『検査と隔離』で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う」と真っ向から反論している。
どちらが正しいのか。通常の国際大会とオリンピックはその規模が違うことだけは、間違いのない事実である。