自分と向き合う習慣がない人ほど、誰かのせいにする

メタ認知能力を高める第一のステップは、自分と向き合う機会を増やすことです。自分のことを対象化して認知する行為を専門用語で内省といいます。人は内省をする機会を持てば持つほど、脳のなかで物理的変化がおき、確固たる「自己」という情報が造形されていきます。

日本の教育の最大の問題は「子どもたちの当事者意識を育む」視点が欠けていることです。うまくいかなかったら誰かのせいにする。

不満があったら誰かを責める。責任を押し付ける対象がよくわからないときはとりあえず社会や時代のせいにする。このような他責の発想も結局、自分と向き合う習慣がないために、「自分の責任かもしれない」「自分にできることがあるかもしれない」といった発想が湧いてこないのです。

他責は生まれ持った性格などではなく、単に長年の脳の使い方による「癖」です。当事者意識の正体とは、外部から入ってくる情報を処理する際に内部情報(自分に関する情報)も同時に発火できるような情報伝達構造に脳がなっているか、ということです。

その神経細胞同士を結ぶ回路は、つながったり、切れたり、太くなったり、細くなったりと常に変化していくものですから、子どもが当事者意識を持った大人になれるかどうかの分かれ道は、結局のところ「どれだけ自己と向き合ってきたのか」の経験値によるところが大きいのです。

脳の科学的なイラスト
写真=iStock.com/Natali_Mis
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「自分なりの物差し」をつくるサポートが大切

自分と向き合う機会が少ないと、必然的に自己に関する情報は外部情報に偏ることになります。先生や親からの評価やクラスメートからの評価、SNSでの評価。こうした第三者による評価はポジティブな作用をもたらすこともあるので一概に悪いわけではありませんが、「自分ってこうだよな」と内省をする暇もなく「あんたってこうだよね」という情報ばかり浴び続けていれば、それが脳のなかでの唯一の「自分の情報」になってしまうことは十分ありうる話なのです。

相田みつをさんの言葉で私が好きな次の名言があります。

「他人の物差し、自分の物差し、それぞれ寸法が違うんだな」

まさにその通りで、他人の物差しで自分を知ることは大切な情報ではあるものの、自分の物差しで自分を見ることもできるのが人間なのです。外部評価に依存する形で自己が形成されていくと、結果的に周囲の意見に流されたり、人から何を言われるかを気にしすぎて積極的に行動が起こせない脳になってしまいます。非常に不安定な状態であり、それをこじらせると「自分を見失う」ということにもなりかねません。

それを防ぐためにも子どもたちに自分と向き合う機会を与えていく過程で、その子の好きなもの嫌いなもの、大事にしていること、こだわり、得手不得手、やりたいこと、喜びを感じることなど、本人なりの物差しをつくっていけるようにサポートをしてあげることが大切です。

それは別に難しい話ではありません。ベースとなる考え方は、

・大人の物差しを子どもに押し付けない
・子どもの物差しを否定しない

実はこれだけの話なのです。